きょうの冷蔵庫整理 11 ~残り物のレタスを使って~

 
 
          残り物のレタスを使って
 
             ~レタスとベーコン・しめじの和えもの~
 
 
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 このひと品は、伯母の家にパンを習いに行ったとき、お昼に出してもらったものです。
 
 バターでベーコンとしめじを炒め、火を止めて、レタスを和えます。味付けは、クレージーソルト(ハーブ入りの岩塩)のみ。
 
 とても簡単ですが、すごく美味しくて、レタスが残ったら作ってみたいひと品です。
 
 伯母の家にパンを習いに行くと、お昼になると、いつもとても簡単なサラダを紹介してもらいます。焼き上がったばかりのパンと一緒にいただきます。
 
 今年の3月下旬、パン教室をしている伯母は、80代半ばに入ろうとしたところで、一緒に暮らしていた娘を急に亡くしました。ひとり暮らしも、パン教室ももう無理、と親戚中に言われ、下の娘に引き取られるというところまでいったのですが、お葬式のあと、突如、「まだ続けます」宣言をみんなの前でしました。親戚中、「ええ~~!」という反応。
 
 さて、先日、伯母と電話で話をしたときのこと。
 
 「きょうは庭に置いたったもんをいっぱい捨てたわ。またここの家で今までみたいに教室するしな。大阪の教室(伯母が講師で時々行っている教室)にはもう顔出してるし。Tちゃんのうち(伯母が引き取られることになっていた下の娘の家)には週半分ぐらい寝に行ってるんやけど、あそこでも教室開こうかと思うてるねん。そんなことやさかい、また、どうぞ。」とのこと!
 
 さすが~!がっくり参ってるのではと心配していたけど、それどころか、下の妹の家に引き取られたなら、その家まで使ってもう1軒教室開いたらええわ、と思ったらしい。
 
 80歳を過ぎた、「戦中派」の女の人って、ほんとに生きるエネルギーがすごいです。
 
 伯母は、戦争中はもちろんのこと、戦後の混乱の中でも、まだ10代だったにもかかわらず、家族を食べさせてきました。この年代の女性って、ほんとに強いのです。
 
 ちょうど今、おもしろくて夢中になって読んでいる本もそういう女性の自叙伝です。
 
 
               高峰秀子『わたしの渡世日記』
 
                  【表紙絵:梅原龍三郎
 
 
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 大正末年に生まれ、実母の他界とともに、養女にやられ、5歳から映画界で、まるで猿回しの猿のごとく働かされ、養父母のみならず、親戚が暮らすための収入をひとりで得てきたという高峰秀子。華やかな映画女優の世界で、彼女はいつもお金をたかられて、貧乏だったそうです。
 
 一家を支えるために、仕事、仕事の毎日で、小学校にも行かせてもらえず、女学校に行って、勉強したいというのが唯一の少女の頃の夢だったそうです。
 
 彼女はそんな境遇にもかかわらず、女優として知りあうことができた監督や作家、画家、その他芸術家たちとの交流の中から、ほんものの教養を身につけようと一生懸命学んだようです。
 
 小学校にも行かせてもらわなかったのに、彼女の書く文章は、驚くほど知性と教養あふれる文章です。わずかなお金の中から、岩波文庫を買い込み、ひたすら読んだそうです。
 
 私の知らなかったような戦時中の話も書かれていて、とても興味深く読みました。
 
 映画を通して知りあった監督たち、谷崎潤一郎志賀直哉といった作家たち、学者新村出など、また、画伯梅原龍三郎などからもかわいがられ、それを生かして耳学問で彼らの教養を吸収していったということでした。
 
 戦後は、組合活動の激しくなった東宝でその渦中に巻き込まれ、新東宝を作り上げたリーダーの中にも入っていたそうです。そんな中には原節子のような女優さんの名もありました。これには驚きました。
 
 戦争が終わって、世のなかで強くなったのは「女と靴下」と言われたけれど、戦後、あれほど威張っていた男たちが呆然とし腑抜けになってしまって何もできなくなったのを見た女が、実はあのとき、男の正体を初めて知ったのではないかと書かれていたのは印象的でした。
 
 おそらく、戦中・戦後を、男の手を借りないで生き抜いた女性たちは、そういうことを見てしまったのかもしれません。私の伯母もそのひとりだったのかもしれません。
 
 高峰秀子という女優さんの映画は、「二十四の瞳」など、私の世代ではビデオやテレビで見るぐらいでしたが、彼女の鋭い観察眼で描かれたこのエッセーに登場する人たちは、読んでいてとてもおもしろいです。
 
 彼女は家庭的にはまったく恵まれず、ずいぶんつらい目にも合っていたはずですが、そのあたりは実にカラリと描かれていて、まったくゆがんだところがありません。
 
 好感の持てる人だと思います。だから、多くの人に支えられ、愛されて生き抜けたのだろうと思われます。
 
 おもしろかったエピソード。
 
 谷崎潤一郎は、ほんとに美食家で、貧乏な彼女と夫をしばしば豪華な食事に誘ってくれたそうです。谷崎の作品「細雪」の末娘妙子を演じた縁で知り合ったそうですが、「細雪」の世界はまさに谷崎の最後の奥さんである松子さんの姉妹たちの様子そのものだそうです。
 
 それで、一緒に食事に誘われると、これは谷崎一家なのか、「細雪」の一家なのか、という錯覚に陥るぐらいだったようです。
 
 同じく、女ばかりの一家の華やかさを描いた、なかにし礼の「てるてる坊主の照子さん」という小説もすごくおもしろかったのですが、この作品も、作家の奥さんの実家の様子を描いたものでした。
 
 谷崎潤一郎も、「細雪」の幸子や雪子や妙子のような、そんな華やかな女性たちに囲まれて、「細雪」を書いたのかと思うと、なるほど、小説ってそんなところから生まれるんだとなかなかおもしろかったです。
 
 高峰秀子のこの作品には、度量の大きな教養のある人物がたくさん出てきます。そういう人に若いころから深く親しんだことと、そういう人たちから教養をしっかりと身につけたいと必死にいろいろなものを得ようとした彼女の真っすぐな気持ちがあったからこそ、小学校にも行かせてもらえなかったのに、ここまでユーモアにあふれ、知性豊かな、人生に前向きな作品が書けたのだろうと思われます。
 
 5月4日にはNHKBShiで「浮雲」が放映されます。これが唯一の恋愛ものだそうで、ほとんど恋愛映画には出てなかったのだそうです。
 
 女優としての自分の可能性をどんどん引き出してくれた、尊敬する成瀬巳喜男監督が亡くなったとき、自分の女優生命もこれで終わった、殉死だと言って、女優を引退したそうです。そんなものの考え方のきっぱりとしたところも、この世代の女性ならではのことかと思えました(実際には、何年か経ったとき、再び信頼する監督に頼まれ、あなたが撮るのならということで、映画出演を承諾しています)。 
 
 引退後は、「わたしの渡世日記」執筆で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。その後もエッセイを書き続け、何冊も本を出し、料理本まで出して、昨年の年末、86歳で亡くなったそうです。