嵯峨 大覚寺
きょうは、一昨年亡くなったいとこの3回忌でした。嵯峨 大覚寺で法要が行われましたので、朝から市バスに40分ほど揺られて、嵯峨まで。
暖かな春の一日ということでしたが、市バスの中は暖房がついていなくて、朝はまだまだ寒い~~
お寺についたら、ますます寒い~~
お寺の待合室の温度は6℃。ガスストーブをつけてもらったけど、なかなか暖まらず、震えていました。
次第にお陽さまがポカポカ
お庭には、満開の梅の花
このお寺は、季節ごとにお花がとてもたくさんさくところです。「花の寺」ともよばれているそうです。夏は、このお庭、反対側に百日紅が濃いピンク色の花を咲かせるところです。
このお庭をさらに奥に進むと、朱色の建物。
霊明殿です。
奥ゆかしい嵯峨のお寺が、なんと、こんなに華美。
実は、この建物は、悪霊を追い払うために真っ赤に塗られたのだそうです。
きょうは、このお堂の中で法要が行われました。お堂の天井は格天井で、四角いマスの中、ひとつひとつにはいろいろなお花が鮮やかにきれいに描かれていました。
「花の寺」にふさわしいような天井になっているのだということでした。
というような説明をしてくださったのは、このお寺のお坊さま。まだまだ若い方でしたが、どこからどう見ても、海老蔵そっくり!かっこいいお顔のお坊さま
大覚寺では、担当のお坊さまが数年経つと代わられます。それぞれの地域からこのお寺に来られていて、数年経つと帰って行かれるのだそうです。そのため、今はこの海老蔵さんそっくりのお坊さまが伯母の担当になられたのだそうです。
大覚寺は、真言宗のお寺です。高野山と深い関係のあるお寺です。伯母の亡くなった夫(つまり私の伯父ですが)は、お寺の長男で、小学校6年で高野山に修行に出されたそうです。冬はものすごく寒くて、廊下を水ぶきしていると、拭いたところから凍っていくのだそうです。
伯母は、このお寺に、もう50年近く、毎月毎月、1日に、写経をしにきています。パン教室を開いていたので、どうしても行けない時には、夜中の12時が済んだら、写経をし、朝一番の速達で大覚寺に送ったのだそうです。
そんなご縁で、このお寺にお墓を作ってもらうことになり、伯父といとこが亡くなってからは、今までまったく真言宗にご縁のなかった私までこのお寺にお参りする機会ができました。年に一度ぐらいですが、私も伯母のお伴で写経もしにきていました。
嵯峨という地で写経をした人では、昔々の嵯峨天皇がいます。海老蔵坊さまのお話では、写経によって何か願いがかなうとかいうものではありませんが、何かが功徳として自分にもたらされるものがあると思って、いつまでも続けてくださいと伯母におっしゃっておられました。
このお坊さま、お年寄りにとても親切な方で、杖をつく伯母にいつもより添い、手を差し伸べ、助けてくださっていました。大きなお寺って、なんとまあ、段差の多いこと多いこと。それに、どこへ行くにもけっこう歩かないといけません。お年寄りには毎月の写経もかなりの運動になりそうです。
さて、法事につきものはというと、お料理
京都ホテルオークラまでタクシーを飛ばし、みんなで「入舟」というお店まで行きました。
そら豆の色や桜の葉っぱが春らしい
亡くなったいとこのおかげで、少人数でしたが、久しぶりにいとこなどとも会って、いろいろおしゃべりをして帰ってきました。そういうときに聞く、私より年上のいとこたちの昔話には、私の知らない親戚の人たちのおもしろい話がいろいろあって、おもしろいものです。きょうは、祖母の母親の実家である福井の海辺の家に遊びに行った時の話が出ていました。昔は山越えの道しかなくて、とてもしんどかったのが、海からの道ができて、舟で迎えにきてもらえるようになってから、とても助かったのだとか。でも、舟に酔う人もいて、なかなか田舎の海辺へ行くのはたいへんだったようです。
また、滋賀県の長浜にお嫁に行ったいとこから、鯖そうめんの作り方も聞きました。以前、長浜の名物だとかで、食べに行ったのです。
作り方は簡単で、鯖の煮つけのお汁におそうめんを入れて煮るだけみたいです。わざわざお店で食べなくても、長浜の農家では、農作業の時に、これを作ってみんなで食べるのだそうで、家で簡単に作れて、とても美味しいとのことでした。試してみたいものです。また、鯖を鯛に変えれば、鯛そうめんになるのだそうです。