京都deお散歩 121~嵯峨 常盤~


 病み上がりではありますが、ぼちぼち社会復帰に向けて(ちょっとおおげさですが、・・・)きょうは朝から京都西ノ京あたりを市バスでとろとろ、とろとろと各駅停車で出かけてみました。

 太秦映画村のバス停を越えたところに、常盤というところがあります。源義経の母である常盤御前のお墓のあるところです。

 昔は京都の端っこの方にあったので、お墓とかのある寂れたところだったのかもしれません。

 花園の駅を超え、さらにとろとろ、とろとろとひと駅ごとに停車しながら、30分かかってでかけました。

 お目当ては、いかりスーパーです。「いかり」ということで、神戸西宮のスーパーの京都店です。

 このスーパー、私の家の近所の大丸や高島屋の地下とはまたちょっとちがったものを置いているので、たまに出かけたりします。

 私は、実は、この常盤にいたるまでの道が好きなのです。お店は10時からなので、きょうは9時半にバスに乗りました。道はまだ空いています。

 四条通も烏丸を超え、大宮を越えると、だいぶ雰囲気が変わってきます。とてもローカルな感じになるのです。西大路で北へ、そして、丸太町通りをまっすく西へ行くのですが、見慣れない雰囲気になってくるのがなかなかおもしろいのです。

 バス停の名前もちょっとロマンを感じます。「太子道」とか、「伯楽町」とか、「西ノ京馬代町」とか。

 太子道というのは、聖徳太子を祀った広隆寺への参詣の道だそうです。

 伯楽とは、もともと、馬のよしあしを見分ける人のことをいうのだそうです。

 馬代とは、馬の借り賃だそうです。

 なにやら歴史の匂いが漂ってそうです。 

 妙心寺、花園、太秦、そして、嵯峨へ入って、このバスの終点は大覚寺前です。

 のんびりとお寺を巡ってこのバスを楽しみ、最後に常盤のスーパーでお買い物して帰るといいようですね。

 このバスにのんびり乗っていると、このなんともローカルな雰囲気の道が気持ちを落ち着けてくれます。世俗を離れたようなのんびりした時間の流れの中に身を置くことができる路線なのです。

 30分間、まったく退屈せず、町を見ながら市バスにとろとろ、とろとろ、乗ってきました。

 バスのお客さんもなんとなくのんびり。平日のお昼前なので、いかにも地元のおばさんたちがほとんど。そこへ、たまに大覚寺に行かれるのかな?と思われる観光客さん。きょうは外国のご夫婦と赤ちゃんでした。高齢のおばさんたちが、かわいい~と声をかけ、言葉は通じなくてもコミュニケーションがなりたちます。

 そこへ数人の中学生が乗ってきました。太秦映画村の駅で降りて行きました。修学旅行生かな。

 とろとろ、とろとろ、30分乗って、常盤着。降り口で、おもわず、外国の赤ちゃんの顔を見て、「かわいい・・」と言ってしまいました。若夫婦と、にっこり。


 路面電車 嵐電ののんびりした駅


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 こんなのんびりした空気とはうって変わって、いかりスーパーは、お洒落です。

 お手洗いの洗面所には、高級なリリーが・・・



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 お花効果ってすごいですね。見習おう。

 
 いろいろお買い物して、またバスを待ちます。一時間に3台しか来ないので、のんびり待ちます。バス停前の手芸専門店がいつも素敵で、ついつい入ってみてしまうのです。


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 帰り道は少し道も混んできていましたが、それでもしれています。四条大宮に近づくとまた繁華街へと入っていくわけですが、そこへ行くまでがなんとものんびりローカルな旧市街ともいうべき京都の町があるのです。

 先ほど、スイスののんびりした田舎町の旅番組を見ていました。おじいさんやおばあさんたちがまったく急がず、あわてず、せかせかせず、ゆったり暮らしておられるようでした。

 今、まだ体調がもひとつで、私は時間の流れも身体の動きもとろとろしています。この流れ方でいいんではないかなあと思ってしまうぐらいです。

 きょうのおでかけは、まるで「旅」気分でしたが、なんともゆったりしていました。今まであまりにもあくせくあくせくやっては疲れてウイルスなどをもらってはバタン!と寝込んできましたが、私も速度を下げてやっていくべきかなとつくづく思いました。

 きょうはこれから、久しぶりのタヒチアンのレッスンに出ようかと思っています。うっかりすると、やりすぎますので、これからは、ゆったりとダンスを楽しむ、その時の流れをどう作るかを注意しようと思います。

 きょうの道々、小さいけど、こぎれいそうなお寺がぽつぽつありました。京都はやはりお寺の多いところです。

 今まであまりのんびりお寺で過ごすということに魅力を感じてこなかったのですが、それは私の進む速さがちがってたんだろうなあと思いました。きょうのように、のんびり身体を動かしていると、大覚寺さんにでも行って、のんびりしてこようという気持ちにもなるんだと思いました。

 ときどき、そういう一日を作り出して、速さの修正をしてやっていくべきなのかもしれません。

 でも、きょうはこれからタヒチアンのレッスンです。きっとまたその教室のドアは素敵な躍動感のある世界への入り口になってしまうことだろうと思います。それはそれ。盲目にならないように、気をつけて、時々、速さの修正をお寺で、のんびりして過ごしながらやっていこうかなあと思った、今日一日でした。