きょうのおやつ 45 ~お茶を普段に~


 以前読んだ裏千家の家元のおひとりのお茶の本に、簡単でいいから、日ごろからお茶を暮らしの中に取り入れるといいと書かれていたので、そのころからよくお茶を簡単にたてていただく時間を持つようにしています。

 今朝は4時半から目が覚めて、あまりにも早起きしたので、8時半にはもうほっとひと息つきたいと思い、簡単にお茶をたてて、これまた簡単な和菓子といっしょにいただきました。


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 昔、祖母がまだ元気に生きていた頃は、日曜日10時になると実家では「お茶会」と称して、抹茶ではないのですが、玉露をていねいに入れて、和菓子といっしょにいただく時間がありました。

 息子も、まだ小さかった頃なのですが、ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、大おばさんたちといっしょにお昼までにぎやかにお茶会をするのをとても楽しんでいて、「いいなあ、こういうの」などと言っていました。

 祖母が歩けなくなってからは、毎週日曜日の「お茶会」がなくなったのですが、そういうのんびりしたお茶をいただく時間って、とても大切だなとなつかしく思い出します。

 実家では、父がようやく歩けるようになり、介護用ベッドを持って帰ってもらいました。南向きのお部屋で、以前、お茶会をしていたお部屋なのですが、そこにあったソファを、介護用ベッドを置くために、大型ごみに出してしまったのですが、がらんと空間ができたので、またソファを買うことにしたのだそうです。

 たぶん、何かあったとき、私が泊まれるようにだと思うのですが、ベッドになるソファを買ったのだそうです。お部屋のカーペットを張替え、そのソファを置くのだそうで、それならまた日曜日、お茶会でもしたらいいねえと話していました。

 祖母はいませんが、叔母も元気ですので、またわいわいにぎやかなお茶会になるかもしれません。

 抹茶というのは、改まった感じはしますが、手軽に普段日常生活に取り入れてみると、わりと簡単にそういう習慣ができるものだなと思いました。

 お正月にもそういう時間が持てるといいので、お正月用の抹茶を用意しておきたいと思っています。

 私は中学生のときから大学生のときまでの10年間、煎茶を習っていました。

 北区の等持院というお寺がお家元だったので、お正月には初煎というのがありました。普段は、大丸の向かいにお茶の道具を売っているお店があり(今はめがねのミキのお店があるところ)、そこで習っていました。

 先生が3人おられて、どの先生もお年寄りでした。そのお年寄りの先生たちはそれぞれに教養のある方たちで、ふっと和歌などを口ずさまれたりもしたので、はぁ~と思わされてました。もっと真剣にちゃんと習えばよかったと今頃になって後悔しています。

 お茶は、煎茶でもそうなのですが、とても合理的に手順が決められています。たいそうに思えるような型どおりにすることで、ちょうどいいお茶の出具合になるのです。

 でも、心を落ち着けてていねいに型どおりにしなければ、やっぱりうまく出ないのだと思います。

 そういう時間を持つことが大事だったのに、私のお手前は今思うととてもいい加減だったし、がちゃがちゃしていたと思います。

 実家では、日曜日の「お茶会」をするとき用に、いくつか煎茶の道具が用意されていました。年寄りはのんびりしていますので、お茶の入れ方ものんびりで、お茶の温度もちょうどいいぐらいになり、お茶の甘みがうまい具合に出て、美味しいお茶が楽しめます。でも、私はまだまだだめです。もっとぬるくて甘いいいお茶が入れられるように気持ちをもっとのんびり持っていかなくては。

 仲のいい友達と、最近食べ過ぎて、お金は貯まらず、体重ばかり増えるので、「また何か美味しいものを食べに行こう」ではなく、「またお茶を飲みに行こう」というのが最近の挨拶となっています。

 友達とでも、家族とでも、ひとりでも、抹茶、煎茶、紅茶にかかわらず、お茶をゆっくり楽しめるような自然な暮らしをこれからは作り出していかなくてはと思いはじめています。