ぱんdeサンド 8 ~ブルーベリーとバナナのサンド~

 
 
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 バナナを使ったサンドをもうひとつ紹介します。
 
 昨日紹介したエルビス・サンドは、ねっとりした甘みの組み合わせでしたが、今回は、ブルーベリーとバナナの、酸味と甘みの組み合わせです。甘酸っぱくて、とてもいい相性です。
 
 今回はベーグルを少し焼いて、サンドにしましたが、食パンをトーストしてブルーベリーとバナナを乗せても美味しくいただけるので、よく朝食に食べていました。
 
 きょうは久しぶりに、この組み合わせで、日曜日の朝のゆっくりとした朝食を食べました。甘酸っぱい朝食でした。
 
 きょうは雨。沖縄はもうすでに梅雨入りし、梅雨明けを待つ頃とか。
 
 5月の雨降りの日曜日、きょうは「マリー・キュリーの挑戦~科学・ジェンダー・戦争~」という川島慶子さんの新刊本(トランスビュー、1,800円)を買ったので、それを読もうと思います。読みやすい本で、キュリー夫人が3つの国に支配されていたポーランドの生まれでありながら、フランスで暮らしたことから受けた身勝手な迫害と名誉、女であるために直面した社会的な問題などがわかりやすく描かれているようです。
 
 私がキュリー夫人に関心を持ったのは、高村光太郎の詩「女医になった少女」にキュリー夫人のことが出てきていて、その時に、岩波少年新書の高木仁三郎マリー・キュリーが考えたこと」を読んでからです。
 
 国が分断され、他国の支配を受けるという悲劇に見舞われたポーランドでは、フランスやイギリスとはちがい、祖国のために女性も男性と同じように学問を身につけ、政治に対して積極的に向かっていくことは、知識階級に生まれた人たちにとっては、当時、とても重要視されていたようです。
 
 そういう土壌が、キュリー夫人という初めての女性ノーベル賞受賞者を生みだした背景にあったようです。
 
 でも、フランスでは、女性の地位は低く、キュリー夫人にとって、国が定めた博士号を取ることがどれだけ重要であったかということもわかります。
 
 フランスでは、ノーベル賞を取れば、キュリー夫人はフランス人になり、夫の死後、寂しかったマリーは、夫のお弟子さんと不倫騒動を起こすのですが、そうしたら今度は、目障りな外国女になるわけです。
 
 そんなマリー・キュリーについて、きょうはいろいろなことを知る日にしたいと思います。
 
   「女医になった少女」
 
 高村光太郎が、戦中に、戦争に協力した詩や文章を書いてきたことへの悔恨のため、戦後も、疎開していた岩手県花巻市の山口山の粗末な家で、亡き智恵子のことを思いながら過ごしていたある日、若い女医が訪ねてきます。
 
 その少女に、かつて、光太郎は、キュリー夫人の本をプレゼントしたこともありました。
 
 戦中戦後の混乱の中、今や、女子医大を卒業し、女医のたまごになったかつての少女を見た光太郎の感慨をうたったものです。 
 
 おそろしい世情の四年をのりきって
 少女はことし女子医専を卒業した。
 まだあどけない女医の雛(ひよこ)は背広を着て
 とほく岩手の山を訪ねてきた。
 私の贈ったキユリイ夫人に読みふけって
 知性の夢を青々と方眼紙に組みたてた
 けなげな少女は昔のままの顔をして
 やつぱり小さなシンデレラの靴をはいて
 山口山のゐろりに来て笑った。
 私は人生の奥に居る。
 いつのまにか女医になった少女の眼が
 烔(けむ)るやうなその奥の老いたる人を検診する。
 少女はいふ。
 町のお医者もいいけれど
 人の世の不思議な理法をなほ知りたい、
 人の世の体温呼吸になほ触れたいと。
 狂瀾怒涛の世情の中で
 いま美しい女医になった少女を見て
 私が触れたのはその真珠色の体温呼吸だ。