亀屋清永の清浄歓喜団のお菓子(「京都deお買いもの9」)は、養源院さんにたくさん納めてますとのことだったので、206番のバスに乗って養源院さんへ。
このお寺は、もともとは淀君が父親の供養のために建てたお寺だったのですが、のちには徳川家の菩提寺になりました。
お寺の建物などは、伏見城のものが使われています。
伏見城落城の際、自害した大勢の武士たちの血のあとのついた板が、供養のために天井に使われていたり(血天井)、その武士たちの御霊を慰めるためにと、俵屋宗達が想像上の象や麒麟、獅子などの絵を杉戸に描いています。
廊下は鶯張りの廊下で、左甚五郎の作ったものだそうです。その鶯張りの廊下のために、伏見城に忍び込んだ大泥棒石川五右衛門が捕まってしまい、河原で油の釜焚きの刑に処せられたのだそうです。
その廊下を奥まで入ったところに、歓喜天さんが祀られていました。もともとは伏見城で太閤さんが祀っていたようです。秘仏のせいで、ここでも歓喜天さんは隠されていて、お姿は拝めませんでした。
拝観料を払うところに座っておられる女性にいろいろうかがいました。お寺の建物などは、伏見城のものが使われています。
伏見城落城の際、自害した大勢の武士たちの血のあとのついた板が、供養のために天井に使われていたり(血天井)、その武士たちの御霊を慰めるためにと、俵屋宗達が想像上の象や麒麟、獅子などの絵を杉戸に描いています。
廊下は鶯張りの廊下で、左甚五郎の作ったものだそうです。その鶯張りの廊下のために、伏見城に忍び込んだ大泥棒石川五右衛門が捕まってしまい、河原で油の釜焚きの刑に処せられたのだそうです。
その廊下を奥まで入ったところに、歓喜天さんが祀られていました。もともとは伏見城で太閤さんが祀っていたようです。秘仏のせいで、ここでも歓喜天さんは隠されていて、お姿は拝めませんでした。
普段は大根とひょうたんがお供えされていて、この日だけ、お菓子が供えられると言われていました。
またこのお寺は4月6日ぐらいにしだれ桜がとてもきれいに咲くのだそうです。大きな桜の木が2本、お堂の入口にあります(下の写真の枝がしだれ桜です)。そのほかにも、季節ごとに、広い境内にはいろいろ花が咲き、美しくなるそうです。紅葉の頃もきれいだとか。とても静かで落ち着いた境内でした。