ぱん de おしゃべり

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美味しいパンを焼きましょう!

ライ麦のパン
                            
              
ライ麦パンは、100パーセントライ麦というのはどうも口に合わないだろうと思います。80パーセントでも危うい。割合をぐっと減らすとヘルシーなおいしいサンドウィッチ用のパンにもなりますが、どうもライ麦パンは小麦粉にお砂糖たっぷりのパンを食べていると、食べにくいものです。
 それで、食べやすくするには、イチジク、レーズンなどのドライフルーツをたっぷり入れたり、クルミも入れたりして、ちょっとごまかすと食べやすいかと思います。ライ麦だけのおやつパンにするのであれば、お砂糖はたくさん入れると食べやすくはなりますが、サンドウィッチ用などにはぐっと控えてごく少量で十分です。塩味を効かせたほうがおいしいようです。

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【レシピ】 強力粉  210g
ライ麦粉  90g
ドライイースト 6g           
砂糖 3g
塩  6g             
ぬるま湯  195g
ショーニング 12g

1 一次発酵は30分。
2 丸めて2分割し、10分のベンチタイム。
3 めん棒で25cm×20cmの楕円形に伸ばし、くるくると手前から巻く。
4 ライ麦粉を表面にまぶして、オーブンシートを敷いた天板にのせ、2本の切り目を入れる。
5 二次発酵は30分。190度で30分オーブンで焼く。

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 第二次世界大戦が終わった後、母方の伯父は4年間もシベリアに抑留されていました。
 伯父は生前、シベリアのライ麦パンが懐かしいなあと言っていたのだそうで、伯父が亡くなったとき、伯母は、ライ麦パンを焼き、柩に入れてあげたとのことです。
 その話を聞いてから、ライ麦パンと伯父、そして、シベリア、シベリア鉄道というふうに結びつき、なにやら私まで懐かしいパンのように思えてきました。

 伯父からシベリア抑留の話が聞けなかったので、シベリア抑留者の生活が描かれている漫画を見つけ、その様子を見てみました。
 その絵を見ていると、どうもシベリア抑留者の生活は、寒いことを除けば、予想していたほどの悲惨な感じでもないのです。氷点下20度なのにドラム缶のお風呂に入れられた時は死にそうであったというのもあるし、毎日かなりの労働はさせられていたようですが、シベリアの農民のところで質のいいジャガイモの収穫のお手伝いをして、夕方には、覚えたばかりのロシア語で、農民たちと「さよなら、ありがとう」と言って、別れたりしていたというのもありました。 

 伯父は、ロシア語が向こうへ行ってからできるようになったので、通訳していたこともあり、だいぶいい待遇は受けていたみたいです。そのおかげで、食べ物にはあまり不自由はしていなかったそうです。戦争に出て行ったときはがりがりだったのに、大きくなって帰ってきたから、見ちがえたと伯母は言っていました。
 戦争が終わって、4年ぐらいした頃、伯父はシベリアから日本に帰ってきました。ロシアからナホトカまで、歩いて歩いて、電車に何日も何日も乗って、やっと帰ってきたのだそうです。

 命の危険を感じたこともしばしばあったようで、経験したことを書き残したいと言っていたそうですが、亡くなってしまいました。それでもライ麦パンが懐かしいと言っていたのは、きっとあちらで親切にしてくださったシベリアの方々もいてくださったことなのでしょう。