京都deお散歩 176 ~初詣で~


 新年明けましておめでとうございます。

 この一年、穏やかな日々となりますように。

 今年はお嫁さんが臨月ということもあり、私が3日の日に息子たちの住む大阪に出向いていくことになりましたので、大みそかは静かな夜となりました。

 元旦早々、実家でお雑煮をいただくことになっていましたが、まずは寄り道して、安産祈願のお寺さんへ。

 新京極入り口にある染殿さん。風情のあるお寺さんで、隠れたように建っている狭いところなのですが、とても落ち着く雰囲気なので、気に入っている場所のひとつです。

 仕事で遅い人のために、夜でも明かりがついているのだそうです。午前十時頃でしたが、まだ明かりがついていました。


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 朝、新年のテレビ番組で、神社とお寺のお参りの仕方というのを見ていましたので、その通り従いました。お寺さんでは、心の中でお願い事を言っておけばいいのだそうです。で、心の中で・・・。

 神社は、言霊信仰ということで、言葉をちゃんと口に出した方がいいのだそうです。隣に聞こえない程度、蚊の鳴くような声でいいから、きちんと住所・氏名を名乗り、お願い事をいうのだそうです。そうなんやあ・・・

 さて、実家について、お雑煮をお昼にいただいて、ご近所の氏神様にお参りを。なんでも、神さんというのは、お願い事をするには専門分野があるということで、学業なら天満宮(たしかに・・・。)、商売繁盛はお稲荷さんといった具合に。

 でも、まずは、氏神様にいつもお世話になっておりますというご挨拶をするのがいいのだそうで。

 私の住んでいるところは、氏神様は菅原道真公ご誕生の地に建てられたという(といっても、京都にはご誕生の地と言われているところは3か所もあるのだそうです…、そのうちのひとつなのです)菅大神さん。で、まずはテレビ番組の教えに従って、実家に向かう市バスに乗る前に、一番に行きました。

 そして、次は、足が弱くなり、歩きづらい父の代わりに、実家の方の氏神様のところへ。懐かしい小学校のすぐ近くにある粟田神社です。


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 小学校に通っているころは、左側のスロープはありませんでした。今では、ガレージとかもあるのと、便利さもあるようで、こんなふうになっているようです。

 お祭の時には、両側にお店がいっぱい出て、にぎやかだったものです。



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 階段を上がると、この神馬の雄姿。昔とまったく同じでした。懐かしい。お祭の時にも見ていました。お祭の音が聞こえてきそうでした。


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 小さくて、もうだいぶ古めかしいですが、能楽を舞う舞台です。お祭の日にはよく能や狂言が観られました。何もかもすっかり古めかしくなっていますが、懐かしい・・・。


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 小学校の時には、体育の時間やその他特別行事になると、よくここから山に登り、頂上の将軍塚集合と言われました。私は山登りが苦手だったので、とてもいやでした。それに、方向音痴でまったく道が覚えられず、いつも男の子に連れて行ってもらっていました。でも、いつからか、柵がつけられて、通行禁止になっています。


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 昔はいい加減だったんだなあ。私みたいな方向音痴で道が覚えられない子もいたけど、お構いなしでした。先生は無情にも登れて当然という感じでした。でも、この頃では、確かに危ないですものね。どんな人が現れるかわからない時代です。子供たちの遊び場だったのですが、通行禁止の柵が取り付けられたのは、やはり危ないからでしょう。

 真冬、雪が降っても、「将軍塚集合!」というのは、当たり前のようにありました。雪で服がびしょびしょになり、先生に言うこともなく、みんな勝手に家に着替えに帰ったりもしていたいい加減な時代でした。

 また、こんなこともありました。帰り道がわからないので、いつものように、仲のいい女友達と一緒に、仲のよかった男の子たちに、連れて帰って~と言ったら、「おれらは怖い道通って帰るんや、それでもついてこれるか?」と怖がるような言い方で言われ、でも、わからない道を帰るより道をよく知ってる男の子たちと帰った方がかえって安心だと思ったので、だいじょうぶ~といったところ、ほんとに変な道を通って帰るはめになり、着いたところはこの粟田神社ではなく、もっと東の方の蹴上の都ホテルのところでした。都ホテルの塀を乗り越えるかのように、ほんとにけったいな道を通らされたのを今でも覚えています。今となっては面白い話でしたが、何時に学校に着こうが、先生にしかられたこともなくて、実におおらかでいい加減な時代だったなあと思います。

 さて、いよいよ本殿です。

 古びた神社だと思っていたけど、実は、由緒正しきいわれある神社で、意外と参拝の人が次々と・・・。


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 本殿では、テレビの番組の教えに従い、小さな蚊の鳴くような声で、住所氏名を簡単に名乗り、ご挨拶。


 その横には、なんと!別の神社、稲荷神社までありました。正一位稲荷となっていましたので、きっと由緒正しきお稲荷さんなのでしょう。

 蚊の鳴くような声で、住所氏名を簡単に名乗り、息子が夏から私の実家で鍼灸院を開きますので、商売繁盛をぜひぜひよろしく!と祈願しておきました。言霊です。届きますように。

 この神社の狐さんたち、なかなか怖そうな顔してましたので、ご利益ありそうでした。


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 あ、これは昔のままだ~。もう何十年と昔のままのものではないかしらと思われるぐらい古くなってましたが、子供たちが今でもこれを持って、本殿の周りを走って回っていました。私たちもよくこれを持って本殿の周りを走って回って遊んだものです。


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 懐かしい昔の遊び場の神社を訪ねました。私たち女の子はこの神社どまりでしたが、きっと男の子たちは、ここから山に登って遊んでいたのだろうと思います。今では危なそうで通行禁止で登れませんが、昔はのどかな時代だったのだなあと思います。

 神社参拝を終えて、神宮道へ。右手に平安神宮、左手へ行くと青蓮院、知恩院円山公園祇園の八坂神社へとつながります。



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 そのまままっすぐ歩いていくと、よく寄り道した通学路。

 昔は大きなお屋敷がいくつも並ぶ地域でした。今でもまだそのまま残っていたお屋敷の前で、え?!!中学・高校時代の同級生が!!そして、このお屋敷、私の小学校時代の同級生の男の子のおうちなのです。バッタリこんなところで会うとは!中学・高時代の同級生は、私の小学校時代の同級生と結婚していたのは知っていたけど、そうなんだ、こんな大きなおうちだったんだ~と改めてびっくり。

 そんな再会のあと、白川に出ました。

 このあたりも、私の大好きな遊び場でした。

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 昔なじんだ場所は、すっかり古びた色合いをしていますが、それがまた懐かしく、元旦早々、いい散歩コースとなりました。帰り道、昔、友達が住んでいた路地奥をこっそり入ってみてきました。もっと広い通路だと思っていたのですが、意外と狭く、子供心に覚えている印象とだいぶ違っていました。子供の時に見た景色って、今見ると高さや広さが違って見えるのですね。

 表通りはすっかり観光地化されていますが、もう何十年とそのままのところもあり、それがふるさとを感じさせるような町の一角でした。