雑感 159 ~年末のドラマ鑑賞~



 さて、今年ももうあと二日あまり。25日からお休みをとって、毎日どこかを整理したり、掃除したりしています。でも、今年はちょっと手抜きです。

 お嫁さんが臨月に入るので、今年は初めて息子一家はお正月に来ません。で、お布団も用意しなくていいし、お節も年末からお正月にかけてのお料理もいらないし、気楽です。

 何もしないでいいかと思っていましたが、やはり、窓の外を見たときに殺風景なのもなあと思い、ちょっとお花を買うことに。いつもより少なめですが、それでも、定番のガーデンシクラメン、パンジーなどは一応植えました。そして、ごく普通のシクラメンも。

  

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 なんとなく、ごく普通のシクラメンが今年はいいなと思って。


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 このところ、寒波到来とはいえ、昼間は陽射しが射し込むので、家の中はけっこう暖かく、エアコンも入れたり切ったりです。

 足元がポコポコする中で、この3日間は、懐かしいドラマ、「おしん」の総集編の再放送を観ていました。さすが橋田寿賀子のドラマだけあって、4回連続、涙まで流して見入ってしまいました。

 ドラマの中で最後に、年取ったおしんが、もうこれからの時代、奉公でつらい思いをした子供たちがいたことも忘れられてしまうんだろうなあと言う場面があったのですが、実は私も同じことをその時に思っていました。

 おしんは1900年生まれで、私の祖父と同い年でした。私の祖父ももっと学校に行きたかったのに、お商売をさせられるために小学校を上がったら丁稚奉公に出されたのだそうです。10代前半です。昔は小学校の義務教育を終えると、男の子はこうして丁稚奉公に出され、丁稚どんとして厳しくしつけられ、技術を身につけ、後々「のれん分け」してもらったりして商売人になったそうです。

 学校に行きたいという気持ちがずっと残っていた祖父は、そのために、自分の子供には、終戦後、お金をかけてでも大学にまでは行かせたいと思ったようです。

 おしんはもっともっと貧しい家で育ったので、生活のために8歳で子守り奉公に出されています。それがどんなにつらいことか、おそらく「奉公」ということさえも、今の年若い人たちはもう知らないでしょうし、日本にそんな悲しい歴史があったことも知らない人が多いのだろうな。

 私たち日本人がどんな歴史の中で今に至ったのかをドラマを通してでも知っておくことって大事なことだと思うのです。別に行きたくもないのに、当たり前のように大学まで行く時代になっていて、多くの人がものにあふれた生活をしているけど、昔は親に生活のために売られたり、口減らしにあったりした子供はたくさんいたのですから。

 天草で、戦前、インドネシアのほうに売られていった小学生の女の子たちのことを取材した「サンダカンの八番娼館」という山崎朋子さんのノンフィクションの本も読んだことがあります。

 以前、母にその話をしたら、昔、若かったころ、近所にそういうおばさんやはったわと言ってました。身近に聞く話だったのです。

 「おしん」はもう35年ぐらい前のドラマです出演者は多くの人たちがすでに亡くなっている人たちです。それほど昔のドラマですが、貧しく虐げられた人たちがいた日本。もちろん、今も貧困家庭のことは社会問題にはなっていて、変わらず苦しい暮らしはあるものの、小さな子供たちが身売りをさせられる時代が日本の歴史にもあったことを知ることだけでも大事かなと思いました。