きょうは美容院に行ったあと、寄ってみたいと思っていたところ、なんと!美容院でユトリロ展の招待券をもらいました!
きょうはユトリロの絵を若い頃から晩年、それも亡くなる2日前まで、並べられた順に観ることができました。
暗い色使いのパリの街には、通りに並ぶ建物ばかり、人はまったく描かれていませんでした。
どの絵もどの絵も通りと建物ばかり。一枚だけならそれはそれでいい絵だと思うのですが、こうも同じような絵ばかり描くというのは、やはり普通の精神状態ではなかったのではないかと思いました。
彼の母は、制作と恋に忙しい毎日で、彼は母にかまってもらえず、かわいがられずに祖母のもとで暮らしたそうです。また、彼の父親はだれなのかもわからなかったようです。ワインを毎日飲む祖母のもとで、さびしい幼少期を過ごしたようです。
幼いころからワインを祖母と一緒に飲んでいたことで、次第にワインにおぼれるようになり、一日に何リットルも飲み、「リトリロ」と呼ばれていたそうです。
人の出てこない絵ばかりを観たあと、突然、花の絵が出てきました。
彼に恋人ができたのです(といっても、人妻だったようです)。その女性の夫が亡くなり、彼女と結婚をしたそうです。ああ、よかったぁと思いました。
そのあとの絵には、人が描かれているのです。少し太めでウエストがしまっているドレスを着ていて、ヒップが太めの女性たちでした。
結婚して絵がいい方向に変わったのかと思ったのですが、実はちがったようです。
ヒップの大きな女性は、彼を苦しめた「女」の象徴だったようです。
あまりにもワインを飲み過ぎ、警察にまで捕まったほどで、精神的にもかなり大変な状態に陥っていたようで、彼はずっと部屋に閉じ込められ、幽閉されたような暮らしをしていたようです。
彼の自由を奪う、彼を苦しめた妻を象徴するのが、このヒップの大きな女性だったようです。
彼は、どんなにアルコール中毒に陥っていても、若い頃から、絵筆を持てば手の震えが止まり、一日に一枚は必ず絵を描いたそうです。
最後までパリの通りや教会を描き続けたユトリロは、風邪をこじらしたようで、急に亡くなったようです。
彼の絵には、建て物の壁ばかりが出てきていました。そして、教会。
宗教に関心を示したようです。
あまりにも悲惨で、絵を観ているとつらくなってしまいました。
華やかなはずのパリがこんなふうに暗く見えるとは。
でも、元々パリはあまりお陽さまも当たらないところだということですから、案外、こういう風景に見えても不思議はないのかもしれません。パリに行って確かめてみたいものです。
そういえば、どことなく暗く、そしてやはり妙に惹きつけられる田中一村の奄美の自然を描いた絵も、南の島をこんなふうに描いたのをなんて独特な描き方だろうと思っていましたが、鹿児島へ行ったときに見たうっそうとした自然を思えば(ハワイ島もそうでした)、あの暗さは必ずしも特殊な描き方ではなく、その土地そのものが持つ独特なものをそのまま心でとらえて描いたものなのかもしれません。
たくさんの絵を一気に観ると、一枚だけみた時とはちがい、ユトリロの孤独の深さが感じられて、胸が痛くなってしまいました。