京都deお散歩 60 ~川西英コレクション収蔵記念展「夢二とともに」~

 
 
               川西英コレクション収蔵記念展
 
                    「夢二とともに」
 
 
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 平安神宮の鳥居横の近代美術館にて、版画家川西英氏のコレクションの展覧会が昨日から始まりました。
 
 
 
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 3分の1ぐらいが竹久夢二の絵なので、「夢二とともに」という展覧会になっていましたが、その他の画家の昭和の初めぐらいの版画もたくさん出ていて、おもしろい展覧会でした。
 
 平安神宮の鳥居の横には、夢二の絵がいくつか鳥居と並んで立っていました。
 
 
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 有名な版画家川西英は、10代のころから夢二に傾倒し、いろいろなコレクションをしていたそうです。
 
 夢二にまで感心され、ありがたがられて、手紙までもらっていました。
 
 夢二の絵と歌が書かれた、当時一世を風靡した雑誌「どんたく」の絵や、夢二の画集などがたいへんたくさん展示されていて、とても熱心なコレクターだったことがうかがわれます。
 
 中でもめずらしかったのは、レコードを家庭で聴くことはまだまだ普及していなかった時代だったので、楽譜が売られていたようなのですが、その楽譜の多くが、夢二の絵の表紙になっていたので、どんどん売れたのだそうです。セノオ楽譜と言います。
 
 大正時代に流行った「カチューシャの唄」もまた、夢二の絵が楽譜の表紙になったためによく売れたのだそうです。
 
 「カチューシャの唄」は、島村抱月、相馬御風作詞、中山晋平作曲、劇団芸術座の公演「復活」(トルストイ作)で、女優松井須磨子が劇中で歌った歌です。レコードが発売され、「カチューシャかわいや わかれのつらさ」という歌詞が爆発的に流行したものです。
 
 その他、当時の庶民がこのんで歌った唱歌や流行歌がたくさん楽譜として発売されたようです。
 
 夢二の詩にもまた、曲がつけられて、楽譜として発売されていました。
 
 「宵待草」がそうです。その時の楽譜の表紙がこの絵だったそうです。
 
 
 
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 夢二は、川西英という有名な画家に、絵を描くきっかけを与えた人でもあったようです。
 
 また、恩地孝四郎という日本で初めての抽象表現で絵を描き、その後、前衛版画家となった人にも大きな影響を与えていたようです。
 
 彼の初期の作品に、満開の椿の花の中に女の人が描かれた絵がありました。これはまさに夢二の絵を思わせるものです。
 
 川西英も、恩地孝四郎も、若くして夢二に惹かれ、彼の絵を模倣したりして絵の勉強をしていたようです。川西英が夢二の絵を写したものもたくさん展示されていました。
 
 また、恩地孝四郎は、「絵画の基礎を習っていないけれど、自分は『詩のような絵』を描きたい」と語った夢二の絵を見て、まさにその通りであると感銘を受けたのだそうです。そのことを夢二も知って、自分の絵の理解者として、若い彼を大切に思っていたのだそうです。
 
 夢二の絵が、後の有名な版画家をふたりも生みだしていたというのは、すごいことだと思いました。夢二の絵というのは、若い女性にばかり人気のあったものだとばかり思っていましたから。
 
 川西英のコレクションにはたくさんのいろいろな版画がありました。その中でも、川上澄生という人の版画がとてもおもしろいと思いました。
 
 特にその色合いの美しかったのは、新東京百景の中のものです。その中でも、銀座を描いた絵は、鮮やかで明るいとても美しいショッキング・ピンクが使われていました。また、百貨店の様子を描いた絵も、当時の百貨店の様子がうかがわれて、なかなかいい版画でした。
 
 売店で、絵はがきを少し、買いました。そして、下の絵のようなメモ帳も買いました。カフェでおしゃべりしているかのように見えそうですが、りんごの皮をむいているし、猫もいるので、おうちのようです。
 
 
 
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             近代美術館のお隣は、図書館。
 
   20年ぐらい前までは、パステル調の淡い緑色の木造建築の西洋館でした。
 
     この図書館は、京都で初めて夢二の展覧会が行われたところです。
 
 
 
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  夢二の歌 を少し紹介
 
      歌といっしょに絵が雑誌に載り、大正ロマンの香りに
      若い女性たちから圧倒的な人気を得て、あっという間に
      超売れっ子になった夢二。
 
      感傷的な歌がほとんどですが、少し自由な雰囲気のあった大正時代の
      乙女たちはうっとりしたのでしょう。
      
      マンドリンの音色にも合いそうな、せつない夢二風ロマンのためいきの
      ような詩です。
 
      
 
                  ひとり
 
             人をまつ身はつらいもの
             またれてあるはなおつらし
             されどまたれもまちもせず
             ひとりある身はなんとしょう。
 
 
                  ためいき
 
             わかきふたりは  なにもせずに
             なにもいわずに ためいきばかり。
 
 
                  くれがた
 
             約束もせず
             知らせもなしに
             鐘が鳴る。
 
             約束もせず
             知らせもなしに
             涙が出る。
 
 
                 靴下
 
             あなたのための
             靴下を
             白い毛糸で
             編みましょう。
             もし靴下が
             やぶけたら
             赤い毛糸で
             つぎましょう。
 
             けれども
             遠い旅の夜に
             あなたの心が
             破れたら
             あたしは
             どうしてつぎましょう。
 
 
                  鐘
 
             鳴らない鐘の
             あることを
             知らずにいた日が
             しあわせか
             知ったこの日が
             しあわせか
             引けども
             鳴らぬ鐘ならば
             いっそ
             引かずに
             おいたもの。
  
  「夢二風」とまでいうことばまでできたというほどの超売れっ子ぶりだったのに、晩年は、そんなことばも忘れ去られたかのようなさびしい孤独な暮らしだったようです。
 
 遺作展は東京や大阪の百貨店で行われたりもしていたようで、川西英コレクションの中には、そういったチラシがいくつかあり、展示されていました。