今回、この本の絵を見ていて、ひとつ、気づいたことがありました。
夢二の描く少女は、遠くを眺め、哀愁漂う大きな眼をしています。また、うつむき加減でノスタルジックな西洋服を着た少女もいます。
その少女たちの目や顔を見ていると、どこか「かごの鳥」を思わせるような感じがしました。少女として、いろいろな夢を思い描いたことでしょう。でも、将来それが実現できるかと言えば、この時代には女の子は親の言う通りの相手と結婚するというのが通常でしたし、まるでかごに入れられた鳥が夢を見ながらもあきらめを感じているような哀しさといったものが彼女たちの眼や顔つきに表れているような感じがしました。
当時の少女たちが夢二の絵に惹かれたのはひょっとしたらそういう哀愁や何も知らなかった幼いころの無邪気な子供時代への郷愁に気づかず惹かれていたのかなあとふと思いました。夢二がそういう一般庶民の乙女たちの心の奥に潜む哀しみを美しい色合いに染め上げたのかな。それが夢二人気の秘密なのかなと考えてしまいました。
それともうひとつ、夢二がシューベルトやモーツァルトなどの西洋の音楽の楽譜の表紙絵を描いていたり、西洋の服を着た娘さんを描いていたりするのを見て、やはり大正時代というのは新しい西洋の文化を取り入れた暮らしが身近になりだした人たちにはとても生き生きとした時代の空気があったのだなあと思いました。
子供たちの絵も生き生きしています。夢二がわが子を可愛がっていたのがうかがわれます。愛情を持って子供を描いているのが伝わってきます。
夢二のような人を恋人に持ったりしたら身体を壊してしまいそうですが、大正ロマンの雰囲気を漂わせている夢二の絵はいまだに健在なのは、この時代の生き生きした雰囲気へのあこがれとどこまでも切ない人の世の哀愁なのでしょうか。
清水寺近くにある夢二カフェ「五龍閣」に行って、ゆっくり絵をみたいと思っているのですが、なんせ今や京都は以前よりもはるかにはるかに観光客が多くて、とてもとても混雑していますので(紅葉シーズン過ぎてもまだまだすごい人・人・人)、夢二の絵を観に行くというより人・人・人を観に行くようなものです。腰が重く、なかなか実現しそうにありません。