小山書店より出版
~太宰治 著~
でも、これは、その本をまねた
林檎ファイバー入りクッキー
このクッキーは、昨年青森のおみやげとして売り出されたものです。ネットで販売されています。
津軽の雪
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
太宰の中期作品として、とても安定した時期に書かれたこともあり、味わいのあるとてもいい作品でした。
石碑になっている部分
《竜飛岬》
路がいよいよ狭くなったと思っているうちに、不意に、鶏小舎に頭を突込んだ。一瞬、私は何が何やら、わけがわからなかった。
「竜飛だ」とN君が、変わった調子で行った。
「ここが?」落ち着いて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなわち竜飛の部落なのである。
《小泊》
たけはそれきり何も言わずきちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。…(略)…平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。…(略)…世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。
太宰は故郷を久しぶりに訪れ、旅人としての自分を見つめ、また、懐かしい人たちと出会い、その中から津軽人としての自分、東京人になってしまっている自分、「大人」になった自分に気づき、養子であった父親の実家を訪ねることで、津島修治としての自分を改めて見つめ、芭蕉の句を理解することで芸術家としての自分のあり方を見つめ直しています。そして、それを作品にすることで、小説に主人公である自分を作り上げていっています。
古池や蛙飛び込む水の音(芭蕉)
なんという、思わせぶりたっぷりの、月並な駄句であろう。いやみったらしくて、ぞくぞくするわい。鼻持ちならん、と永い間、私はこの句を敬遠していたのだが、いま、いや、そうじゃないと思い直した。…(略)・・・余韻も何も無い。ただの、チャボリだ。謂わば世の中のほんの片隅の、実にまずしい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、わが身につまされるものがあったのだ、…(略)…月も雪も花も無い。風流もない。ただ、まずしいものの、まずしい命だけだ。当時の風流宗匠たちが、この句に愕然としたわけも、それでよくわかる。在来の風流の概念の破壊である。いい芸術家は、こう来なくっちゃ嘘だ、とひとりで興奮して、その夜、旅の手帖にこう書いた。
「…(略)・・・古池や、無類なり」
私は故郷を離れたことがないのですが、故郷に帰ることで、その土地と人との触れ合いの中から、自分探求の旅人になれるようです。
「ある夕暮、沖の方を見やりたるに、真白にして雪の山の如きもの遥に見ゆ。あれ見よ、又ふしぎなるものの海中に出来たれといふうちに、だんだんに近く寄り来りて、近く見えし嶋山の上を打越して来るを見るに大浪の打来るなり。すは津波こそ、はや逃げよ、と老若男女われさきにと逃迷ひしかど、しばしが間に打寄て、民屋田畑草木禽獣まで少しも残らず海底のみくづと成れば、生残る人民、海辺の村郷には一人もなし、…(略)・・・」などという、もったいないような、また夢のようなことも、平易の文章でさらさらと書き記されているのである。
太宰もまさかほんとうに大津波が襲ってくる日があろうとは思っていなかったようで、「夢のようなこと」と言っています。
「津軽」は手軽には、新潮文庫から出ていますが、JTBパブリッシングから出版されている「津軽」には、いろいろ解説も載っていて、おもしろそうです。また、生誕百周年を記念して、「太宰治と旅する津軽」(新潮社)という本も、写真入りで津軽が紹介されていて、こういう本を持って、出かけてみたくなりました。
でも、実際には、とても辺鄙なところで、助手さんの話では、小説に出ている場所をみようとしてタクシーに乗ったら、それはそれは高くついてしまって、冷や汗が出たそうですが・・。
タクシー代を予算に入れて、来年の夏あたり、津軽の旅に出よう!と友達と話しながら、大阪から帰ってきました。実現できるといいな。