思わぬ見つけ物

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これは父の遺品を整理してた時に出てきたどなたかの戦争中から終戦を迎えた前後の日記です。だれのかわからなかったのですが、読んでいるうちに当時東北にある大学で教えておられた有名な国語学者さんのものだとわかってきました。

 

どういういきさつで父がこれを預かっていたのかはわからないのですが、内容が実に貴重な資料になるようなものなのです。文章も実にいい文章です。そして、何より、当時の人がどんなふうに戦争中暮らしていたのかが具体的にわかる、実に綿密な記録でした。

 

神戸、大阪など、かなりやられたということが書かれているのですが、そんな戦争の真っ只中で学校へ行き、古事記枕草子平家物語源氏物語、そして、古典文法などを教えておられるのです。

 

へえ〜、と思いました。源氏物語なんていう恋の物語をこんな時期に授業ができたのですねえ〜。

 

授業をしたり、学徒動員の監督に行ったり、空襲あるのに体育会、行軍(遠足)なども企画したり。ただ、遠足は歩いてすぐにB29が上空を飛び、中止になったようです。

 

そういえば、太宰治の『津軽』という作品でも、戦争真っ最中に、津軽では万国旗連ねて運動会してるんだと太宰が感激してました。青森以外にも東北ではしてたんだ。

 

B29が7月ぐらいになるとしばしば現れて空襲があるのですが、そんな日でも源氏とか教えておられるのです。

 

でも、次第に空襲もひどくなり、先生や生徒たちも家が焼けてしまう事態に。学校がしばらくお休みになったりもしてたようです。

 

それでも最後まで授業は続いたようで、源氏や平家、文法など教えておられるのです。

 

食べ物はまだましだったのか、いろいろな人から分けてもらえたりしていた様子。

 

沖縄戦への不安がしばしば書かれています。沖縄で食い止められたらこちらも大丈夫だということで、毎日どうなったのか、大本営の発表を待っていたようですが、なかなか報道がないのです。

 

ドイツが負けたという報道では、ドイツではすべての自由が奪われ、生きてることだけ認められて、新聞も読めず、集会も開けずの状態らしい、この戦争にはとにかく負けてはいけない、と生徒に説いたとも書かれていました。

 

戦争に負けるとどうなるかという不安が切々と伝わってきました。当時はそういうふうに恐れていたのですね。

 

そんな中、空襲で本が焼けないように早く本を疎開させようと、早い時点でいろいろ苦労されてたようです。

 

広島や長崎の話はその日の日記にも、その後の日記にも一切出てこないのは不思議でした。当時はまだ日本人もどんなことだったのか、わかってなかったのでしょうか?

 

終戦を迎えても特に自由を束縛されることもないということが分かり始め、ようやく研究に打ち込める時が来たということで、さっそく国語学の研究に没頭されていきます。

 

戦後、10月27日のところには、兎に角、空襲でおびやかされる事もなく、特高からにらまれるといふ事もないのは、嬉しい事である、と書かれています。やはり、源氏とかしていたら特高に目をつけられたりしたのでしょうか?

 

10月4日 朝礼には、我国が軍国主義をすてて民主主義となり、強国日本から文化日本へ進むべき事になったと説いた。英語の卒業式commencementは、物事の始まりの意味があるが、国家としても今や新生活の始まりである事を覚悟し、教養を身につけるべき事を説いた。

 

とあります。どうもこの時期、卒業の時期でもあったらしく(7月頃から新入生の話が出てきたり、この頃には卒業ということもでてきていて、??戦争中って秋に新学期?)、この日は予餞会が行われ、みんなで舞踊とか観て楽しんだようです。先生たちも指名を受けたら余興とかしないといけなかったようですが、指名は免れたと書かれてました。

 

今でも若い人たちはダンスが大好きですが、この頃の若者たちも舞踊が大好きだったみたいで、予選会の出し物で一番多かったのは舞踊だったとも書かれてました。同じなのですね、今と。

 

昭和21年2月6日が最後の日記。
終戦後の不景気で不安が募る時だったようです。

 

追々またよい風も吹いて来るであらう。何事でも辛抱する事が大切である。勉強もし、家の中も朗らかにしながら暮らせる様に努力しようと思ふ。復興日本のために一生懸命にやりたいと思ふが、ただ、このインフレの進行が、どうなるか、これが気がかりである。(略)経済の他にも、色々貰ひ物があるので、我家では暮らしよい。旧正月に当って田舎からの餅も食べられて、幸せだ。食物の事になれば、今では農家が大ひ威張である。明朗に、活発に、元気に積極的に仕事をしよう。

 

この日記はここで、終わっています。

 

この日記、読みながらずっと、コロナで自粛している今の暮らしと戦争中の暮らしとが重なって感じられてました。私たちもコロナ終息後にはこんな気持ちになるのでしょうか。

 

この日記はプライベートな思いを語るというより、記録のような日誌のような日記でした。

 

文才のある方だということが最初の出だしからわかるような日記でもありました。

 

そして、実に几帳面に綴っておられるので、出版しても価値があるような内容でした。

 

私だけが持つものではなさそうな貴重なものでした。弟と相談して、まずはご遺族を探して連絡しようということになりました。

 

息子さんは生きておられたら90歳ぐらいの方のようです。

 

思わぬ見つけ物に没頭して、読み続けてしまったお休みでした。