雑感 13 ~恋の蛍~

 
 
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 太宰さんは、どんな人と心中したのだろ?
 
 山崎富栄さんの美しいきれいな顔を見て、ちょっとどきどきしながら、読みました。
 
 山崎富栄さんは、日本で最初に美容師さんを養成する学校として認可された、東京美髪美容学校の創立者山崎晴弘氏の娘さんでした。1913年(大正2年)の創立です。場所は本郷お茶の水
 
 お父さんが校長先生。お母さんは、腕のいい髪結い。お父さんはとても器用な方で、ドイツからミシンを取り寄せ、洋裁をこの学校で教えたそうです。
 
 お父さんは、美容師とは、お客さんに美を提供するものだから、あらゆる美を学んでいないといけないと考え、生徒たちや娘に、人格や美ということについては、とても厳しい教育をしたようです。
 
 関東大震災で学校を失い、新しく建てた頑丈な校舎は、戦争中に軍に徴集され、それでもまた学校を建てたようです。戦争中は、パーマネントなんて贅沢だ、非国民だと非難されながらも、それでも最新の技術を取り入れ、富栄さんたち若い女性たちとともに、生涯をかけて美容というものに熱心に取り組もうとした人のようです。
 
 教養を身につけているべきだということで、富栄さんは、慶応にまで講義を聴きに行ったり、振る舞いを美しくするためにというお父さんの教育方針で、日舞やお茶お花に熱心に通っていたようです。
 
 戦争中に、お見合いで結婚した男性は、とてもいい人だったらしいのですが、式を挙げてすぐに夫は戦地に。そして、すぐに戦死したようです。
 
 小さいころから慕っていたお兄さんも病気で亡くなり、夫も亡くなり、その寂しさが、太宰へと向かわせたようです。
 
 とてもまじめで一本気な人だったようです。たぶん、そのために、一生懸命尽くし抜いたのでしょう。聡明で、気のきく、優しい利発な人だったようです。
 
 太宰にとっては、一緒に死んでくれる人こそが、自分を裏切ることのない証拠みたいなものだったのでは、と思います。
 
 なんせ、あちこちに付き合っている女性がいる人ですから、晩年は悲惨だったようです。若いころは、教師をしていて、きれいだった奥さん(結婚後は、疲れ果てたようです)、「斜陽」の題材としての日記を提供し、太宰の子供まで産んだ太田静子さん、そして、山崎富栄さん。この3人の嫉妬に、結核の悪化。太宰は最後の力を振り絞って「斜陽」「人間失格」などを書き、最初に約束したように、山崎富栄さんを誘って、玉川上水に身投げしました。
 
 何事にも一生懸命尽くし抜き、精いっぱい生きようとしたことが、太宰との心中へと走らせたのだろうと思いますが、娘を、新時代の職業婦人、美を追求する美容師へと育成し、時期校長への期待をかけていたお父さんにとっては、ほんとにつらい、衝撃的な事件でした。亡くなってからも、悪くひどいことを言われるのは、富栄さんばかりで、その時も、奥さんへの謝罪に胸を痛めると同時に、娘の死後の名誉も守れなかった自分を責めておられたようです。
 
 お父さんは、とても生徒たちに慕われていたようで、その後も、生徒たちは、同窓会をし、校長を見守っていたようです。
 
 この本は、山崎富栄さんのことだけでなく、当時の美容学校や洋裁学校の貴重な歴史を知ることもでき、とても関心深い内容でもありました。
 
 今でも、その教え子の教え子たちが、お客さまに満足していただくために、努力を惜しまず、人間形成に力を尽くすという山崎晴弘の理念を受け継いで、全国で美容室を経営しているようです。
 
 最先端を目指した事はありませんが、いつも最先端にいる美容室というのが、そのうちのひとつ、山崎伊久江美容室のキャッチフレーズのようです。
 
 どんな美容室なのか、行ってみたくなりました。
 
 この山崎伊久江さんとは、山崎晴弘氏の息子のお嫁さんです。彼女も富栄さんと同じく、山崎氏の一番弟子で、有能な美容師だったそうです。