京都deお散歩 11 ~きれいな湧き水が溢れていた左女牛井之跡~

 日曜日、西本願寺での如月忌に行く途中(京都deお散歩10をご覧ください)、堀川六条のあたりに「左女牛井之跡」と書かれた石碑がありました。「さめがい」と読みます。このあたりには、平安時代からきれいな水が湧き出ていたあたりです。

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 そして、六条堀川には、昔、源氏の屋敷があり、義経もこのあたりに住んでいたということです。弁慶が五条天神で「いい刀を手に入れさせてください」と拝んだ後、堀川のほうに歩いて、笛を吹いてやってくる義経に会ったということが、「義経記」に書かれているのですが(京都deお散歩7をご覧ください)、それは、このあたりに義経の家があったからということのようです。

 源氏の屋敷には、左女牛井の井戸からきれいな水を引き入れていたということです。

 源氏のお屋敷のあったこの地に、今は西本願寺門徒会館や東急ホテルが建っています。豊臣秀吉西本願寺をこの地に持ってきたということです。

 この間、如月忌に行ったとき、「無憂華」という九条武子さんの生涯を描いた映画を観ましたが(京都deお散歩10で詳しくお話しています)、如月忌の法要までに少し時間があったので、東急ホテルでお茶とケーキを食べて時間をつぶしました。なんせ本願寺はとても寒くて、ホテルで温まらなったら風邪ひいてしまいそうだったのです。

 ホテルは、玄関のところも、中庭も、ふんだんに水が流れています。きっとこのあたりが水の涌き出ていたところであるということで、そういうふうにしてあるんだろうと思います。お向かいにもフランス料理店があるのですが、そのお店もまた、醒ヶ井(さめがい)の湧き水をアピールするために、お店の中に滝を作っていて、水を流しています。

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 室町時代には、お茶を点てるのにも井戸の湧き水が使われたのだそうです。足利義満もその井戸の水で点てたお茶を飲みにきたのだそうです。

 でも、第二次世界大戦の末期、堀川通りは道を広げて戦車を通すために、家々を壊していったところです。その際に、井戸も壊されたのだそうです。

 すぐ近くには、醒泉小学校という学校もあります。 

 左女牛井は、今では「醒ヶ井(さめがい)」という通りの名前として残っています。四条堀川のひとつ東の小さな通りの角っこには、亀屋さんという和菓子やさんがあるのですが(ここの季節の和菓子がとてもいいのです。また今度ご紹介します)、醒ヶ井にあるお店というのは、昔はきれいな水がいっぱい溢れていました~!というのが、お店のご自慢になっているものです。

 東急ホテルで、水がふんだんに流れている中庭を見ながらいただいたケーキは、とても美味しかったです。甘ったるくなくて、後味がとてもいいのです。このお店のケーキはまた買いに行きたいぐらい美味しかったです。

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