京都deお散歩 40 ~千本押小路から堀川御池まで~

 
 きょうは、日曜日なのに、お仕事。堀川御池まで出張でした(家から歩いて10分ほどですが・・・)。
 
 せめてお昼だけでも日曜日まで働いているご褒美にと、美味しいカレーやさんに行きました(「きょうのランチ」をご覧ください)。
 
 帰り道も、のんびり押小路通りを歩いて戻りました。
 
 まず最初、目を引くのは、京都市立中京中学校の壁面。中京中学校の卒業生によるタイルで作られた京都の絵が見えてきます。
 
                     五山送り火
 
 
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                    京の絵巻
 
 
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 このあたり、江戸時代に、西町奉行所があったところだそうです。
 
 
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 中学校のお隣は、二条城。
 
 
 
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 その向かいには、桓武天皇が平安遷都の際に作られたという神泉苑があります。
 
 
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ほんとうは、もっともっと広大な広さのあったところだったそうですが、豊臣秀吉が権力を示すために、二条城をわざわざこの地に作り、そのときに、天皇家の力の象徴でもある神泉苑を横へ追いやって、それで狭い敷地になったそうです。
 
 この地は、いつも清い水が涌き出ていたそうで、それで神泉苑といったのだそうです。また、824年の春、雨が降らなかった時には、ここの池で、東寺の僧空海が、善女龍王を祀って、お祈りをしたところ、霊験があり、雨が降ったそうで、それ以後、名高い僧侶が、この苑で、雨乞いをしたのだそうです。
 
 今では、この神泉苑は、京都の料亭「祇園平八」のお店も入っていて、ますます狭くなっています。そして、平八の入口前の池には、龍の屋形舟が置かれています。
 舟の先頭に、龍の頭がついているのがわかるでしょうか。
 
 
 
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 この神泉苑のあたりは、江戸時代には、東町奉行所があったそうです。
 
 
 
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 西町奉行所も、東町奉行所も、職員の数も少なかったようです。お江戸と同じように、毎月担当が代わる、月番制だったようです。
 
 また、このあたりは、戦後しばらく、太秦に移る前の、京都の映画の撮影所もあったということで、その石碑も建てられています。きょうは写真に撮れてませんが、また探してみてください。
 
 堀川御池に出ると、病院とラーメンやさんの両隣りに(堀川側と御池側)、小さな門がそれぞれあります。それが、最近建てなおされた堀川音楽高等学校です。
 
 
 
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 この御池側の小さな門を入ると、小さなグランド。そこを左手に折れたところに、こじんまりとしたホールがあり、そこで演奏会ができるようになっています。
 
 この学校は、京都では、古くからある音楽専門の学校で、卒業生には、ベルリン・フィルで指揮者になった佐渡裕氏もおられます。また、葉加瀬太郎氏もこの学校の卒業生だそうです。その他、多くの卒業生が有名な演奏家や声楽科になっておられます。
 
 通りからは学校があるなんて、まったく目立ちませんが、ひっそりと京都で音楽を志す高校生が学んでいます。