京都deお散歩 2 ~革堂(こうどう)さんの初観音~

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 きょうは初観音ということで、京都中京区の寺町竹屋町にある革(こう)堂行願寺というお寺と、同じく中京区の六角烏丸にある六角堂頂法寺まで散歩がてら行ってきました。

 きょう私が最初に訪れた革堂さんでは、千手観音像を開帳していました。お堂の奥の方に、金色に輝いた観音さまが、幕の隙間からお顔をのぞかせていらっしゃいました。

 観世音菩薩というのは、身を三十三に変化するのだそうです。それで、霊場三十三所の巡礼ということになったのだそうです。日本では、中世以降に盛んに巡礼がされるようになったのだそうです。

 その観音さまの縁日が毎月18日。その日に参拝すると特にご利益があるとのことで、参拝客が多数訪れます。きょう、あすは今年になって初めての縁日の日。京都では、六波羅蜜寺東山区松原)、清水寺東山区清水)、今熊野観音寺東山区泉涌寺)、六角堂頂法寺(中京区六角烏丸)、革(こう)堂行願寺(中京区寺町竹屋町)、牛尾観音法厳寺(山科区音羽南谷)で初観音です。

 このお寺を開いたのは、行円上人(ぎょうえんしょうにん)。元・漁師だった人だそうで、山中で射止めた雌シカの腹から子ジカが生まれたのを見て、殺生を悔いて仏門に入ったと言われているのだそうです。平安中期の1004年のことです。もともとは一条小川(上京区)あたりでお寺を開き、千手観音菩薩を安置したのが行願寺の起源だとか。行円上人は布教のとき、寒さ暑さを問わず常にシカ革の衣を着ていたことから、人々が革聖(かわのひじり)とか皮上人と呼んだということで、革堂と言うようになったのだそうです。

 室町時代には、革堂さんは上京の町衆の信仰を集め、下京の六角堂とともに、町衆の集会の場となり、文化や自治活動の中核となる役割を果たしたのだそうです。戦や一揆、天災などが起こると、鐘を鳴らして町中に知らせたお寺もこのお寺だったそうです。

 その後、秀吉の都市整理によって、寺町荒神口に(1590年)、次いで、1815年に今の場所に移ったとのこと。

 千手観音さまのおられる本堂は、なかなか立派な建物でした。天井は豪華な彫刻のなされた格天井で、格式をうかがわれますし、天女がふたり、千手観音さまのそばを舞ってもいました。なかなか立派。金色に輝いた観音さまのお顔は、少しだけ見えましたが、それが見られたのも初観音の日にお参りした特典。

 でも、私は、境内にある愛染堂の隙間から見える愛染明王像のほうに釘づけになってしまいました。暗い暗いお堂の中に、陽射しの具合で、明王さまの周りにある赤い炎が燃えているように見えたり、暗くて明王さまが隠れたりするのです。この明王さまはそんなに大きくはないのに、暗がりの中で陽が射すと、とても迫力を感じました。喝!と言われたみたいな、そんな迫力です。それがわずかに射す陽射しの加減でそのように思えるのです。またお会いしに行きたい仏さまでした。

 それと、そのお隣の都七福神めぐりで有名な寿老人ですが、この老人の顔には癒されました。眼と眼の間が離れていて、垂れています。ふっくらとした体つきで、とてもふくよかなのです。愛染明王さまを見て、この寿老人を続きに見るのは、なかなかいいものでした。

 このお寺、たいへんいいお寺だと思いました。また訪れたいと思います。

 あしたは、きょう訪れた、革堂さんと対になっている六角堂を紹介します。