北陸deお散歩 116 ~北陸の蓮如さんを訪ねる~

 
 
              ~北陸の蓮如さんを訪ねる~ 
 
 加賀温泉駅で降りて、そこから石川県と福井県の県境にある吉崎御坊に行きました。
 
 ここは、親鸞の後を継ぎ、八代目本願寺を再興しようとした蓮如上人が都を追われ、逃げ延びてきた地です。
 
 すでに真宗の信仰が地盤を固めていた地でもあったようで、この土地の人たちが、蓮如上人を迎えたのだそうです。
 
 
 
 
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 北陸の本願寺として、古い歴史のあるいい雰囲気のお寺でした。
 
 
 
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 このお寺の裏山のほうを登っていくと、湖と海が見えるとてもいい見晴らし。
 
 この湖と海がお堀のようになって、このお寺は迫害から免れたということでした。
 
 
 
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 このお山は、もともと本願寺が建てられたところだそうです。57歳でこの地を訪れた蓮如上人がその後5年間この地で布教活動をし、念願の本願寺を再興したのだそうです。
 
 
 
 
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 これは、お山にある高村光雲が作った蓮如像です。
 
 
 
 
 
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 蓮如という人は、とても庶民的な人だったようです。しかし、その反面、政治的な手腕も持っていた人のようで、北陸という、当時は貿易でにぎわっていた場所で信仰を広げようとこの地にやってきたようです。
 
 しかし、ちょうどキリスト教が江戸時代になって迫害を受けたように、みんな平等に仏さまに救われるという宗教は、武士の世の中からも、比叡山からも、しばしば攻撃の対象になり、布教のためのお寺には火がつけられ、61歳の蓮如は弟子に背負われて、命からがら逃げ延びたのだそうです。
 
 
 
 吉崎寺 ~蓮如が弟子に背負われた像が表にあります。
 
 
 
 
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 この吉崎寺には、嫁が他力本願の蓮如の話をしばしば聴きに行くので、鬼の面をかぶって脅したという姑のかぶったといわれている面が展示されています。
 
 姑がかぶったその面は、姑の顔から離せなくなり、困った姑が蓮如に助けてもらいに行ったところ、蓮如の話を聴いたとたんに外れたのだとか。
 
 
 
           弟子に背負われて火災から逃れた蓮如
 
 
 
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 この火災のとき、親鸞の教えが書かれた教行信証の巻1が火の中にあることを悲痛な思いで蓮如が見ていたのを、別の弟子が身を挺して取りに走ったそうですが、すでに火の手が回り、逃げられず、自らの腹を切り裂き、その中に教行信証を入れ込んで、守ったのだそうです。
 
 
 もう少し、福井県に入っていくと、「超勝寺」というお寺があります。、「超勝寺」という石碑が立っているところは東本願寺系、もう少し奥のほうに入っていくと、西本願寺系の「超勝寺」があります。
 
 
              『藤島城跡』と書かれたお寺
 
 
 
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 このお寺は、もともとはお城のあった場所だったそうですが、戦国時代、城主がこれ以上戦争をするのは心が痛むということで、お城の場所にお寺を建てるようにしたのだそうです。
 
 このお寺には、蓮如上人のお母さんが、6歳の息子と別れなければならないことになった際、絵師に描かせた幼い蓮如の絵があります。赤い鹿の子の着物を着せて絵を描かせたそうで、『鹿の子の御影』と言われています。
 
 蓮如は、6歳で生き別れた母を86歳で亡くなるまで捜し続けたそうですが、見つけられなかったそうです。ただ、母が絵を描かせた絵師を見つけることができ、その絵師に母に渡したのと同じ絵をもう一度描かせたのだそうです。それが飾られていました。
 
 蓮如は、親鸞の家系を継ぐ家柄に生まれたそうですが、とても貧しい暮らしだったようです。ただ、母は、下女で、本妻ではなく、本妻を新たに迎えることになったときに、母が身を引いて家を出て行ったようです。
 
 蓮如はその後、妻に次々に死に別れ、5回も結婚したそうです。子供は計27人。
 
 84歳のときも子供をもうけています。このときの奥さんは、20代です。
 
 妻への情愛に厚く、子供を何人も作ったようです。生き別れた母を求めていたのかも、・・・と思いました。
 
 ただ、政治的な手腕のある人だったので、息子や娘をあちこちのお寺に送り込み、お寺との関係を深めて真宗の勢力を伸ばしていったようです。
 
 
 北陸(石川県の加賀温泉福井県の県境)のあたりは、なんとも穏やかな空気の流れを感じさせるような、とても憩える雰囲気を感じさせる場所でした。なかなかいい空気の流れを感じたので、今度は加賀温泉でゆっくりして、東尋坊永平寺にもまた行ってみたいものです。これから秋が深まり、紅葉の季節にも、古いお寺と温泉はいい心の保養になりそうです。そして、そんな中に、歴史が流れているのを感じました。多くの人が信仰を求めたというのは、たくさんの死にも出会い、日々不安の中で貧しい暮らしをしてきた人たちの思いが歴史の中に流れていたのだと、北陸の地と、迫害から逃れ逃れて、それでも庶民的な結びつきを広げていった蓮如という人の生涯にも関心を抱いた日帰りの旅でした。