お彼岸 きょうは黒谷さんにお参り
久しぶりにお墓にやってきたら、すっかり観光地化されていました。
その前は、お江の供養塔が観光地化されたのです。
NHKの「大河ドラマ」ってすごい反響です。
橋を渡って、昔は時代劇の舞台になっていた階段。
てすりがついてからは時代劇に使えなくなったのですが・・・。
一番上には、以前文殊さまが祀られていたお堂。
中ほどまできたら、左の道を行きます。新観光地へは、曲がるところは決してまちがうことはありません。なぜなら、あちこちの角には「會津墓地参道」のみちしるべが。私も道しるべにつられて、初めて會津墓地へ行ってみることに。
今までは、小さな古びた道しるべでした。小さい頃の私は、お墓参りをするたびに、なんかあったんかなあと思っていました。
どんつきまで歩くと、西雲院。このお寺が會津墓地をお世話されています。
境内には、蓮の鉢がたくさん置いてありました。
夏にまた来るといいですね。
幕末、京都では、尊王攘夷を掲げた者たちが何人もの人たちを襲うということが起こったため、治安維持を命じられた會津の若者たちが活躍したのですが、その際、多くの會津人が命を落とす羽目にもなりました。
この黒谷は、會津藩士が陣地にした場所で、黒谷のかなり広いこの区域にお墓を建てることになったそうです。
小さいお墓がたくさんありました。お国のためにと、命をかけた若者たちがたくさん亡くなったのでしょう。ここにも戦争で命を失った若者たちがたくさんいたのだなと思いながら、小さなお墓を見渡していました。
それまではほとんど人の訪れないような奥まったところなので、ひっそりお墓があっただけだったのですが、たまたま、今年、大河ドラマで取り上げられたために、多くの人たちにお参り(あるいは、観光)されることに。「それもまた、よかったんかもなあ」と母。
その後、會津が負けた時、薩摩の藩士が黒谷に生き残っている會津藩士を探しにきたそうです。その時、黒谷では、それまで閉ざしていた山門を開け、薩摩藩士を中に入れるようにしたため、焼き打ちは免れたのだそうです。
そういったことが、今日、私がお参りした黒谷さんの境内にあるお寺にも文書で書かれて残っているのだそうです。
また、そのお寺には、會津藩士が残して行った行李や小刀が残っているのだそうです。
革命や文明開化はこの時期、日本だけでなく、世界のあちこちで起こっていたようです。日本にペリーがやってきたころ、ハワイにもアメリカ人がやってきて、まさに、ハワイの文明開化の時期、そして、ハワイ王朝が壊れたころ、日本でも、江戸幕府が幕を閉じ、尊王攘夷、そして、文明開化の波が歴史に津波のように押し寄せてきたようです。
さて、今年の「八重さん」ブーム、確かにすごいものです。
お墓は、お彼岸のお参りの人なのか、観光の人なのか、わからない状態でした。
帰り道、観光客の一団が押し寄せてきましたよ。
黒谷さん、正式名「金戒光明寺」は、桜の名所でもあります。
サスペンスドラマでしばしば舞台になった山門は今は修理中。
ポスターの写真でどうぞ。
日本の新しい時代の到来とその陰で亡くなった人たち。その時代は、ああ、ハワイの人たちが自分の国を失った時代と同じころだったんだなあと、いつもの癖で、ついつい、ハワイとだぶらせ、帰り道、ふとみると、パンケーキ。
熊野 「からふね屋」の和風パンケーキ
いろいろな種類のパンケーキがありました。そして、ぜんぜん甘ったるくなく、ものすごく美味しかったです。
ただし、混んでいて、なかなかお料理が運ばれず、このパンケーキを食べるのに、なんと!40分も待ちました。
イライラしていたけど、でも、パンケーキが届いて、美味し!と思ったとたん、待ち時間はすっかり飛んでしまいました。
ほかのお料理もものすごいボリュームで、なんだかハワイみたいな感じでした