初秋~萩の花が咲いています。
わが家のベランダに咲く、この萩の花。気温がちょうどよくなると、春でも夏の終わりでも咲くのです。このところ、ちょっと気温が下がり始めてきていますので、さっそくこの間から咲き出しました。
江戸小紋という名の萩です。
夏の終わりとはいえ、もう風は秋風のようで、涼しい。そろそろ秋がやってきているようです。
この秋、ひとつ、トライすることがあります。フラのクラスをちょっと変えてみようと思っています。タヒチアンといっしょだったので、なかなか次のステップに行きそびれていたのですが、やっぱりちょっとランクをあげて、もう少し優雅な踊りに挑戦してみようと思い始めました。
先日、バリの踊りについてのテレビ番組を見ました。
インドネシアはオランダによって長年統治され、戦前からは日本軍によって占領された国です。戦後、ようやく独立を果たしてからもしばらくは政治が不安定で、バリでも8万人の犠牲者が出たということでした。
そのため、バリ舞踊が絶滅状態になりかけていたそうです。
そんなとき、バリ舞踊を復活させたひとりの男性がいたそうです(名前を忘れてしまいました・・・)。彼は、不安定な時代にこそ、宗教と結びついた舞踊を復活させなければと思ったそうです。
バリは、古くからのヒンズー教が残るところ。舞踊は宗教と一体となって再び復活しました。
舞踊を復活させた彼の話。
宗教と舞踊は結びついたもの。その宗教とはモラルです。
人と人とが踊りで交わりあい調和が生まれる。それが「peace平和」をもたらすのです。
バリ伝統芸能の復活にはそのような平和への祈りが込められていたということでした。
宗教と舞踊の結びつきはあらゆる舞踊の始まりにはあるものであり、フラもそうでした。
フラは、古代には男性がグループを作って神に踊りと祝詞をささげていました。唯、たいへん厳しい掟があり、もし踊りをまちがったら殺されるので、命がけの神への奉納だったそうです。
そういう厳しいものを乗り越えて、しだいに人々の楽しみへと変わっていったようです。
今では宗教とは関係なく踊っています。それはそれで、人と人とのつながりを深め、とても大切なものですが、宗教というものへも関心を抱きました。
宗教とはたしかに人が生きていくモラルです。生き方をまちがったときに、指針を示すものなんだと思います。
宗教もそういうポラリスなんだと思います。聖典という一冊の本(あるいは思想)、あるいは聖典でなくても何か自分のブレを修正してくれるような一冊の本(あるいは思想)があるということはとても大切なことなんだなと、バリ舞踊の話を聞いていてつくづく思いました。
それと、舞踊の意味です。美しいものは平和を導きます。人間の中にある隠された美しいものをしぐさを通して人々に伝え、感動させ、人々を高揚させ、一体感をもたらすもの、それが宗教を実ははらむ「舞踊」なのかと思います。
まあ、そんなたいそうなことは日ごろは見えてはきませんが、見えないところで浸透しているものと思います。
そんな中で、少しでもそういうものを体感できれば、人は心が潤います。
季節の花もそうですが、美しいものを見過ごさないような暮らしを心がけなければ。そして、それが人と人とをつなぐものでなければ。
そんな中から仕事に携わるということを念頭におかなければ。
そんなことを考えさせられた、バリの長老の話でした。
今年はぜんぜん咲いてくれなかったミニバラの花がちょっとずつ咲くようにもなってきました。
ミニ花瓶は、左が備前焼(大きいのはとっても高いから、小さいのを買いました・・・)