ハワイへの旅 第3日め
クリスマスのハワイ島 NO.3
その1
朝、3時50分に起きて、5時出発のバスに乗りホノルル空港へ。
ハワイ島・ヒロ・コナ空港へは飛行機で40分。
とっても素敵なパイロットさんの操縦で(またまた映画俳優さんみたいな方~)
ハワイ島・ヒロ・コナ空港に到着。
観光のガイドさんは、日系のHirokoさん。
とっても明るい元気な方で、みんなをあっという間に元気にしてくれました。
Hiroko:みんなハワイ島のどこに行くのか、ちゃんとパンフレット、見てきた~?
みんな:見てきてない。。。
Hiroko:えええ~~!!どこ行くのか、何も知らずに来たの~~?!
それじゃあ、このツアー、ミステリーツアーじゃな~い!
まず最初に訪れたのは、黒砂海岸。
海の水はきれいで、エンゼルフィッシュなんかも見られたのですが
海岸はこの通り、まっくろ。
ここは火山の噴火でできた地形で、溶岩が流れてきてこんなふうになったそうです。
この日は、小雨が降り、とっても暗~~い。
ハワイ島は一年間のうち、300日以上が雨降りだとか。
(まるで屋久島みたい・・・)
海岸の砂は、緑色であったり、白色であったり、3色の色の海岸がそれぞれあるのだそうです。緑色も噴火によってできたそうです。緑色の宝石が混ざっているからだそうです。
屋久島は、林芙美子が小説「浮雲」 で「月のうち、三十五日は雨」と言っていますが、この島もそれに匹敵するだけあって、周り一帯はジャングル状態です。運転手さんが、日本人はこんな小雨で大騒ぎするんだから、いやになっちゃうなあ、ハワイ島の雨はこんなもんじゃないよ~と言われてましたが、なんとなくその雨の状態、わかるように思います。この夏、鹿児島の先端で大雨に会い、傘なんてどうしようもなく、ずぶ濡れになりましたから。ほんとに恐ろしいほどの雨でした。
黒砂海岸のあたりはジャングル状態です。
そんな中に、あ、高い木の上にプルメリアの花を見つけました~
地面には、花が落ちてました。
とってもいい匂い
町へと戻って行きました。
かわいい~~、と思ってよく見たら、「POLICE」と書かれていました。
パトカーは赤色なんだ~
ヒロ湾
クィーン・リリウオカラニ・ガーデン
ハワイ王朝最後の女王さまを記念して作られた公園です。
ハワイをとっても愛していた女王で、「アロハ・オエ」を作詞した女性ですよ~
実は、このガーデン、日本庭園になっているのです。これにはびっくり。
日本人とハワイの深い結びつきを感じました。
竹藪もあります
リリウオカラニ女王は、1891年1月29日、兄カラカウアの後を継いで53歳で即位しました。彼女は、幼いころから、とても裕福に育ったので、音楽的な教養をしっかり身につけた女王さまでした。いろいろな歌を、若い頃から作った有名な女性です。
リリウオカラニは兄のカラカウア王以上に過激な王政復古主義であったため、アメリカ人勢力との対決は泥沼状態になっていったようです。また、王室の財政は、カラカウア時代の支出過多もあって完全に破綻していたということで、王になっても、とてもたいへんな状態だったようです。
また、彼女の兄であるカラカウア王は、アメリカとうまいこと交流をして、ハワイの発展を願ったようですが、次第にアメリカの勢力がハワイを犯すようになってきて、危険を感じ、世界旅行と称して船旅に出かけ、その際、日本にもやってきて、同じようにアメリカに占領される危険性があると思われた(これはカラカウア王がそう思ったのですが・・・)日本と手を組む段取りをこっそり進めたそうです。
日本に来た時、抜け出して、だれにも内緒で、明治天皇に会い、天皇家の息子と自分の姪との縁組を申し出たそうです。でも、明治は、まだまだ血の純潔にこだわっていた時代ですから、ハワイ人との結婚なんてとんでもないと明治天皇は考えたようで、この縁組は実現しませんでした。
つまり、神に祈りをささげ、自然の中で人間としての営みを大切にしてきたフラ・ダンスは、腰を振る卑猥な踊りとされ、まず目をつけられたようです。
でも、そんな中でも、実は、フラを観たアメリカの宣教師の中には、「なんて美しい。手の動きが、腰の動きが、なんて魅惑的なんだ~」と魅せられてしまった人たちもいたようです。
卑猥だとされたフラ、ほんとは、人を魅了してしまうので、危険だと思われたというのが、ほんとのところだったようです。
ハワイアンの歌も踊りも禁止され、文化が否定されたのを、復活させた王が、このカラカウア王だったそうです。そして、その妹のリリウオカラニも、兄同様、教養を身につけた女性で、兄の意向を受け継いで、ハワイを守ろうとした女王だったということでした。
でも、その女王に危険を感じたアメリカによって、それまで温存させられていたハワイ王朝は壊されてしまい、ハワイ王朝が滅んだようです。
日本もハワイもクジラがたくさん泳いできました。当時、アメリカは、オイルとしてクジラのオイルを使って、工業を起こしていましたので、ハワイと日本に目をつけたようです。
その上、戦争に出ていくのに、燃料補充の地としては、ハワイも日本もすごく便利な島です。アメリカに重要視されるのは、そんなことが理由となっているわけです。
もし、ハワイと日本がそれぞれの皇室同士で結婚をしていたら、その後、どんなふうに歴史は変わっていたのでしょう?それでもやはり、両方とも、アメリカに占領されていたのかな?
今では、昔、ハワイの原住民が踊っていた古典フラは、もう何も資料が残っていないので(なんせ、字のない国だったので、資料が残っていないのです)、今ではそのままは残っていないそうです。
思い出しながら、なんとか形を変えて伝えられているのが、今の古典フラ。主に、神にささげるフラです。その後、アメリカが、観光用に奨励したのが、現代フラ。
でも、今、私たちが習っている現代フラにも、とてもハワイらしい美しいものもあり、時代とともに、文化も変わっていくというのが自然だと考えれば、現代フラも決して軽視するものではないのでしょうね。本髄を伝統として伝えていっているということなのでしょう。
このあと、私たちのツアーは、キラウエア火山のほうに向かいましたが、このキラウエア火山では、ハワイのもっとも力のある火の女神ペレの住むところです。
ペレが怒ってキラウエア火山が噴火すると考えられていたので、彼女にささげるためのフラが、昔はこの火山のところで、ささげられていたようです。もっとも伝統的な古典フラは、この踊りをもとにしているようです。
さて、道沿いに、カメハメハ大王の像が立っていました。
カメハメハ大王こそ、ハワイ王朝をうち立てた王様。
この像は、3つ目の像だそうです。
もっともイケメンに作られている像だそう。
満開のハワイ鳳凰(ほうおう)木
ヒロの町は、バスの車窓からしか見られませんでした。残念。
このあたりは、津波が押し寄せて、なんとか残ったオールド・タウン。
浜の近くには建物は建ててはいけないことになったそうです。
残った建て物は、とてもいい感じの木造の2階建てがほとんど。
今でもきれいにペンキを塗って、使われているそうです。
クリスマスの日だったので、どこもお休みですが、
日頃はお店が建ち並んでいるのだそうです。
淡い、いろいろな色の建て物がたくさん残っていて、素敵なアメリカン風の
町並みでした。
さて、ここの滝、すごい水量でした。
さすが雨の多い地域だけあって、恐ろしいほどのエネルギーを感じました。
この滝、太陽の光で虹色に輝くのだそうで、レインボー・ホールズという滝です。
もちろん周りは、ジャングル状態
さて、このあとも、まさしく「ワイルドだろう~」のビッグアイランドを巡りました。
また、新年明けたころにUPさせていただきますね。
では、私も、そろそろ新年を迎える準備に取り掛かります。
でも、今夜、除夜の鐘まで起きてられるかなあ?
実は、まだ時差ボケで、きょうも午前3時半にはぱっちり目が覚めるのです。これでもハワイ時間では、午前9時半なので、十分遅起きの時間なのです。
昨夜は9時半には寝ていました。今夜、息子や彼女がやってきます。持つかなあ・・・
案外、お年寄りにはハワイは生活時間的には時差ボケしなくて済みそうなところですね
では、みなさま、よいお年を!
また、来年もどうぞよろしく