HAWAIIでお散歩 105 HAWAIIへの旅 2

 
 
 HAWAIIへの旅 2
 
                ~ビショップ・ミュージアム 前半編~
 
 ホテルのスタッフNorikoのおかげで、以前から行きたかったビショップ・ミュージアムに行く機会を得ることができました。
 
 ワイキキからは少し距離が離れていることと、英語の説明だけでは行った甲斐がないこともあり、現地の日本人ガイドさん(なかなか有名なガイドさんらしいです)の日本語での丁寧な説明はありがたかったです。
 
 
 1889年設立の博物館です。
 
 
 
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 このミュージアムは、王室最後の血筋を引くお姫様が、西洋人と結婚。彼女亡き後、夫君のビショップ氏が、妻の意思を継いで、ハワイ王国の歴史博物館を作り、その隣りにハワイ人の子供たちの教育機関としての学校を創立しました。
 
 下の写真は、今ではこの敷地だけでは狭くなり、ほかの場所に移転していますが、もともとのハワイ人たちの学校です。
 
 
 
 
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 この学校、もともとは、100パーセントハワイ人のために、アメリカから廃止されたハワイ語を使っての教育をすることを目的とした学校だったのですが、今では混血が進み、100パーセントハワイ人というのはほとんどいなくなってしまい、14パーセントハワイ人の血筋を引いていれば入学できるそうです。すでに親も話せなくなったハワイ語を幼稚園のときから子供たちに教え、広めていくという教育をしている学校です。
 
 
 この日は、ハワイの地元の小学校の学習で、ビショップミュージアムに訪れている子供たちを見ました。制服は、ブルーのTシャツのようです。
 
 
 
 
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 このミュージアム、写真撮影OKということでしたので、いくつか写真を撮ってきましたので、紹介します。
 
 
 入り口の前に植えられているこの木はハラの木というそうです。
 
 
 
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 この木の葉っぱが落ちると、この葉を編んで、いろいろなものを作るのだそうです。
 ゆるく編むと、足拭きマット、細かく編むとカヌーの帆にもなるそうです。
 
 
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 また、建物の周りの木は、ティーリーフといい、魔よけのための木だそうです。熱が出たら貼り付け、レイを作って首からかけると魔よけになるそうです。
 
 
 
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 日本では明治の時期にあたります。ハワイと日本では、アメリカが訪れた時期が重なるわけで、そのころ日本でも歴史的な立派な西洋建築が建てられましたが、ハワイでも同じだったようです。
 
 
 
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  最初のお部屋では、特別展示として、ニイハウ・シェルという貝殻の首飾り(LEI
 NI’IHAU GLOSSARY)が展示されていました。
 
 ベンツひとつ買えるぐらいのお値段がするそうです。
 
 
 
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 真珠湾というぐらいですから、ハワイでも真珠は採れたのですが、ハワイ人は貝殻のほうに値打ちを感じていて、真珠は使っていなかったそうです。でも、アメリカ人が入ってきてから、真珠があることでアメリカ人が騒ぎ出し、みんなが真珠を採りだして、とうとう今では真珠は全滅したのだそうです。
 
 
 
 さて、本館は、3階建て。
 
 
 
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 電気のなかった時代だったので、明かり取りに天井の窓が作られています。
 
 
 
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 ハワイでは、鯨が獲れるので、鯨油を使うようになるのですが、灰が出るというのが難点だったそうで、その後は、電気が使われるようになっていきます。
 
 
 下の写真は、ハワイ島のHale Piliを再現したもの。
 ここで祈りが行われていたそうです。沖縄と風習など、似ていますね。
 
 
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 草で作られています。
 光で暗闇を照らし、悪霊を遠ざける祈祷がされていたようです。
 
 
 
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 ハワイには、いろいろな宗教的な掟があり、かなり厳しいものだったようです。掟破りは悪霊を呼ぶので、殺されます。
 
 その後、カラカウア王、リリウオカラニ女王の時代には、西洋の教育化が進み、そのような刑は廃止されています。
 
 たとえば、昔は、男女が一緒に食事をするとたたりがあるとされていたそうですが、実際に男女一緒に食事をしてもたたりはおきなかったため、このような祈祷の建物は、人々を惑わすということで、焼き払われました。
 
 これをハワイ島から持ってきて、この博物館で再現するとき、ハワイ人もアメリカ人と同様、よっぽどの菌を持っていなかったらマスクなどしないのですが、さすがに草の誇りがひどくて、みんなこのときばかりはマスクをつけたのだそうです。
 
 
 
 これは、クーというもので、戦いの神様を鳥の毛で作ったものです。気持ち悪いほどの鳥の小さな毛で作られていました。
 
 
 
 
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 鳥の毛は、王国の時代には王様が着任すると、マントなどに使われたということを以前本で読んだのですが、ものすごい鳥の毛がいるので、貴重なものとはいえ、めったに作ることはないそうです。鳥がたくさんいるわけですから。
 
 こんなに鳥の毛を使ったのは、かなり呪術的なものだということがわかります。
 
 以前は、フラも呪術的なものでした。元々は、カヒコといって、神様にささげるために踊られた祈りの一種です。昔は、カヒコは男性が踊りました。とても力強いカヒコを、この旅でも観ることができましたが、決して私たちがよく観るフラのようにやわらかくてやさしいものではありません。筋肉が発達したたくましい若い男性が、裸に近い格好で恐ろしいほど力強く踊ります。恐ろしいほど魅力的です。
 
 最も力のある神様は、ペレという女神さまですから、男性が踊ったのでしょう。
 
 そして、以前本で読んだのによれば、少しでもミスをすると、殺されたそうです。フラというのは、私たちは憩いを感じますが、とんでもない。もともとは神様にささげるものなので、命がけだったそうです。まちがったら、殺される、とても緊張したもので、命をかけて、悪霊から身を守ってもらうための祈りだったようです。
 
 さて、きょうはここまで。続きはまた今度。ビショップ・ミュージアム後半をご覧くださいね。