~HAWAIIへの旅 3 ~
ビショップ・ミュージアム 後半編
前回紹介したもの以外にも、いろいろと呪術的なものが展示されていました。
これは、髪の毛で作った首飾りです。高貴な身分のハワイアンたちが呪術的な意味でつけていたようで、亡くなった時にはこれを一緒に埋めたようです。
また、下の写真は、タトウ。
これも呪術的な意味があるので、今、若い人たちがしているタトウとはだいぶ意味合いがちがっています。
柄は、太陽であったり、風であったりと、自然の神さまに守ってもらうためにからだに描いています。ハワイでは、今でも幾何学的な模様のタトウをしている男性たちをよく見かけますが、あれは、単におしゃれのためではなく、信仰に結びついたものなのです。
あまり衛生的とはいえないようですね。こんな写真がありました。
バスで町並みを見ていると、あちこちに「TATAU」と書かれた看板が目に入ります。民家のあちこちで見かけました。けっこう観光客相手のお商売にもなっているようです。
これらは、王様のマントです。かなり大きいので、ハワイの王様たちは体格がよかったようです。2mぐらいで、お相撲さんぐらいの体格だったのかも、ということでした。
2階では、歴々の王様たちの肖像画か飾られていました。カメハメハ1世は、戦い抜いて武力で王になっただけあって、なかなか精悍な感じでした。
「南の島の大王は~」という歌がありますが、南の島の大王様たちは、決してお昼ごろまで寝ているようなのんびりした暮らしではなく、かなり精力的に政治を行う能力を持っていないといけないようでした。
若い男性が中心で、その後、ハワイでの豊かな暮らし(そう思い込んでいたのですが・・・)を求めて、多くの若い女性たちがお見合い結婚に応じてハワイへ移ったそうです。
ただ、そのときのお見合いは、写真だけ。そして、その写真もまったく別人の写真を送ったりしたそうで、実際に会ってみてビックリ!でも、いまさら日本に帰ることもお金がないからできず、多くのカップルがこの地で生きていくことになったのです。
中国人にも韓国人にも耐えられなかった過酷な労働を、日本人だけは黙々と耐え、なんとか貧しい暮らしの中で生き延びたそうですが、戦争が起こり、立場が大変悪化。この頃の話って、テレビでも経験者たちはあまり語っていませんでした。
それほど過酷な立場におかれたようです。そのために、アメリカに命がけで奉公し、最も危険なところへ戦争にも率先して出て行き、敵国民と言われないように、必死に生きた人たちが大勢いたようです。
アメリカに占領され、王国としての自国を奪いとられたハワイの人たちだけではなく、日本人もまた、この地で必死に生きてきたのでした。
この日、沖縄・八重島の高校生の踊りが披露されていました。
沖縄もハワイも似た運命をたどった国なので、ビショップミュージアムでのこの催しはとても意味のある企画だったのではと思いました。
バスから見える風景。ハワイのダウンタウンの民家は、日本の家ととてもよく似ていて、たいていが2階建てで、瓦屋根の家でした。
帰り道、ダウンタウンにあるフォスター植物園に寄りました。
ここは、フォスターさんという船会社の社長さんの宅地を使っての植物園。
なんせ船会社経営だったので、世界各地の種を買い付けてきては植えた植物ばかりだそうで、ハワイの植物ではなく、アフリカや東南アジアのものなどがいろいろごちゃごちゃと植えられていました。
というわけで、実にワイルドな植物園。
でも、蘭の温室もあり、さまざまな蘭がきれいに咲いていました。
これは、大きな木に咲く花。
花の咲く木は、アフリカ種のものが多いようでした。
ん??鎌倉の大仏??
実は、フォスターさんの奥さんが、大の仏教好きらしく、鎌倉の大仏にまねた仏さままで植物園に置かれていました。