京都deお散歩 23 ~蹴上浄水場内の与謝野晶子歌碑~

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          御目ざめの鐘は知恩院聖護院
                  出でて見たまへ紫の水
 
 蹴上にある浄水場の敷地内に建てられている与謝野晶子の歌碑です。与謝野鉄幹が関西にやってきたときには、晶子は彼と一緒に京都を訪れました。親には反対された秘密の恋です。彼には奥さんもいました。
 
 ふたりは粟田口にある「辻野」という旅館に泊まり、翌朝、粟田口あたりを散策したようです。その時の歌。
 
 昭和29年に歌碑が建てられたのですが、今では蹴上浄水場の敷地になってしまいました。蹴上浄水場は、毎年4月30日から5月3日までの4日間が一般公開の日。この4日間の間にしかこの歌碑は見られないのです。
 
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 今年は肌寒い日が多くて、まだまだつつじもさつきもあまり咲いていませんでした。毎年、この時期には、浄水場はあたり一面、さつきとつつじに囲まれるとても美しいところなのですが。
 
 まだまだこんな具合。
 
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 これは、急速ろ過池です。
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 山のほうに登っていくと、とても美しい景色です。
 
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 この浄水場の向かい側は九条山になっています。そのふもとには、昔、小学校のころに通っていた蹴上プールがありました。
 
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プールは、このトンネルを抜けたところにありました。
 
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 ところが、今では、・・・。
 
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 こんなふうになって、どこにもプールはありませんでした。ショック・・・。
 
 苔が生えていたからだと思うのですが、水は濃い緑で、それは、まったく透明度のない深い深い緑色でした。
 
 小さい頃、プールというのは、緑色だと思っていた私でした。
 
 まっすぐに行くと、南禅寺のほうへ抜けるようです。
 
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 反対側にも道が続いていました。
 
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 この道で、昔、終戦直前の日、私の父は、幼い妹を乳母車に乗せて、食べられそうな草を摘みにきたのだそうです。その時、アメリカ軍のB29がものすごい勢いで、何機も飛んできて、とても怖い目にあったのだそうです。空は真っ暗になったそうです。轟音が響き渡り、ビラがまかれたのだそうです。8月13日あたりだったとのこと。
 
 その時から、プールはあったのだそうです。水は抜かれていたということですが、戦前から蹴上プールはあったようです。
 
 私はこのすぐ近くにある、粟田小学校に通っていました。与謝野晶子が鉄幹とデートして、泊った旅館は粟田山のふもとにある旅館。粟田山は、蹴上の元・都ホテルのあたりへと降りて行くことができました。それで、この蹴上あたりを散策したのです。
 
 今では一年に一回しか歌碑は見られないのですが、他にも岡崎のほうに歌碑があると聞いています。
 
 蹴上から、岡崎にデートしたようです。
 
 岡崎も私の遊び場でした。夕方にはよく岡崎の図書館に自転車で行きました。日曜日には、友達と岡崎動物園で遊びました。アリーナがあり、よく弟とスケートにも行きました。スケート場の豚マンがとても美味しくて、それを食べるのを楽しみにしていたものです。
 
 プールは、蹴上のプールと、岡崎の疎水の手前の白川に川の水をせき止めたプールがありました。疎水の水が流れてきて、そこだけせき止めたので、水かさが増えて、子供用のプールになっていました。
 
 その白川は、また、私の学校からの帰り道にも通じていました。
 
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 ここは、三条通りから見える白川です。ここでは、毎日、友禅の布がさらされていて、とても美しい彩りでした。友禅は、絵を描いたあと、水にさらすのです。長い長いきれいな色合いの布がこの川の水でゆらゆらと流れてさらされていたのです。