雑感 36 ~夢二生家を訪ねて 牛窓②~

 
      前回の「雑感35」で紹介した岡山県邑久牛窓の続編です。また、牛窓については
    「きょうのおやつ22」でも紹介しています。あわせて、ごらんください。
 
 
 
                  竹久夢二の生家
 
 
 
イメージ 4
 
 
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
         大正ロマンの代表的な絵描き、歌詠みの竹久夢二
 
 
イメージ 2
 
 
イメージ 6
 
 
 
イメージ 7
 
 
 造り酒屋だったようですが、お酒を造るのはたいへんなので、父親は酒造りをやめて酒屋さんになったということでした。
 
 部屋の裏側、蔵があったところは、今では絵が展示されていました。部屋数もわりとあって、思っていたより大きめのおうちでした。
 
 
                 家の近くにある石碑
 
       幼いころ、やさしい母と姉に愛されていました。
       年の離れた姉がいつも遊んでくれていたようです。
 
 
イメージ 8
 
 
 そんな姉がお嫁に行き、突然家から姿を消してしまいます。
 
 ところが、父親が放蕩者で、とうとう姉は離縁されて家に帰らされるという不幸に見舞われます。
 
 そして、この家をある時、一家そろって出て行くことに。
 
 父親の放蕩のために、夜逃げ同然に故郷を離れたようです。
 
 大正時代、描いた絵が雑誌の挿絵になり、その抒情あふれる絵で、あっという間に人気絵描きとなった夢二でした。
 
 絵を描くときはモデルがいなくては描けなかったという夢二。次々と彼のモデルとなった女性たちは、彼の妻たちでもありました。
 
 京都清水二寧坂、二番目の妻・彦乃と隠れ住んだ家のあたりは(彦乃の父親が猛反対したためです)、今では夢二グッズを売るお土産もの屋さん「港や」があります。
 
 (「港や」とは、彼の最初の妻・たまきが暮らしを立てるために作ったお店の名前なのですが・・・。) 
 
 若くして結核になった彦乃は、父親に連れ帰られて、病院で亡くなります。
 
 京都・清水は、夢二にとっては、短い幸せの思い出の地。
 
 
 
イメージ 12
 
 
 三番目の妻・お葉の実家は、大正時代芥川龍之介が住んでから彼の周りに集まってきた芸術家たちが暮らした東京の田端にあります。その家でもお葉と暮らしたようです。
 
 川端康成が若いころ、夢二の家を訪れた時、夢二の絵そっくりの女の人が出てきてびっくりしたそうですが、その人は、このお葉のようでした。
 
  そんな超売れっ子の夢二が自分のことを歌った歌が元になって、夢二の生家前には、こんな橋が・・・。
 
             
                     茂次郎橋
                   
 
イメージ 9
 
             
                  夢二の本名は茂次郎
 
 
イメージ 10
 
 
 夢二の絵のほとんどが物憂い様子の女の人たちの絵でしたが、彼の絵には、素朴な田舎の風景や子供たちが描かれているものも多く残っています。
 
 これらの絵の原風景がこの邑久・牛窓の生家あたりの自然の中にあったようです。
 
 この生家の近くに、元々東京に夢二が建てたアトリエ「少年山荘」が息子不二彦の記憶をたどったスケッチ絵をもとに、再建されています。
 
 テラスもある、おしゃれな洋館のアトリエでした。
 
 
イメージ 3
 
 
           「宵待ち草」(詩 竹久夢二 /歌 高峰三枝子
 
         当時大流行りしたこの歌には、大正ロマンの香りがします。
 
         YOU TUBEでどうぞ。
 
 
        
           来月11月、京都の美術館に、夢二の絵がきます。
 
 
イメージ 11