母が突然意識を失い、危篤状態のまま、5日目に入ります。
まだまだ母の気配が残っている部屋で、ただ病院からの連絡を待つだけの日々です。
ベランダには、母がどんなスイセンが咲くのだろうと、待っていた花が、咲き出しました。
母の携帯に写真を送りました。見せてあげたかったです。
この寂しさに慣れることでしかないのでしょうね。
世代が代わる、人の世とはそういうことの繰り返しなのでしょう。
毎日、母との別れをどう受け止めていくのかを考える日々です。
母には、感謝、感謝ばかりです。骨折で手術、リハビリで毎日かなりのトレーニングをしっかり受けて、歩けるようになって戻ってきてくれた母。介護などと言っても、全然周りに迷惑もかけることなく、一緒に暮らしてくれた母。退院後の3ヶ月半は、ほんとに幸せないい時間だったのです。
寂しいこと、感謝しかないこと、繰り返し繰り返し、心の整理ばかりする時間となっています。
倒れる間際まで、普通に暮らした母、写真以外はすべて葬儀の用意をしておいてくれた母、必要なお金もちゃんと残した母、迷惑を一切かけなかった母。
たまたま弟がお昼にやってきて、3人でお昼を食べ、リフォームした実家の部屋のカーテンを3人で買いに行き、3人で少し遠くのスーパーに行って買い物までしました。
その2日前には母とは久しぶりにいろいろ話もしました。
しんどいからちょっと寝てくるわ、と言って寝転んで、10分ほどで意識をなくしました。
酸素マスクとか点滴とかで長らえてますが、昔なら大往生と言われたやろなと息子が言います。
だれにも迷惑かけず、ただただ家族のためばかりに、淡々と一生懸命生きました。本人は尽くしているなんて思ってもいなかったことでしょう。それほど淡々と。
梅を見に行く予定だったとか、春には動物園に行く予定だったとか、もっと毎日普通の生活を一緒にしてもらいたかったとか、未練はまだまだいっぱいあるので、寂しいのですが、立派な人だったと、母のいいところばかりしか浮かんできません。
退院後はやはり認知力が低下してきていたこともあり、新しい些末なことをなかなか覚えてもらえず、イライラしたりしてたけど、思い出すのはどれだけ立派なことしてもらえてきたのか、そればかりです。毎日の些細な日常のイライラなんて、取るに足りないことだったようで、もっと優しくゆっくり接してあげてればよかったのに、と後悔ばかり。
でも、それさえ忘れさせてもらえるほど、ありがたいことばかりが思い起こされます。
今は、母とのことを思い出し、寂しい気持ちの中で、次の世代へ私が移れるように、自分の心の中を整理する時間を過ごすことが求められてるのでしょう。
その時間さえ、母が今、私に与えてくれるために、生きながらえてくれているのかなとさえ思えます。
感謝して、ありがたい思いを心の中に残して、母との別れを受け入れられるようにさせてもらっているのかもしれません。
生きがいだとか、なんだとか、今の人には大きな問題だけど、母は、毎日ただ淡々と家族のために生きてきました。何か楽しいこと見つけたら?と言うと、こうして毎日食べられたらそれでいいというのが母の人生観でした。
だから動じず、最後の最後まで、ひとりでバスに乗って、実家で仕事をしている孫にお弁当を届けたり、私にも自分ができることを助けてくれようとしたり、淡々と家族のために自分ができることを引き受けて、生きてきました。
迷いばかりの現代人。前近代的な生き方の母。
それぞれでいいのでしょう。
こうして、みんな、上の世代の人と別れ、次の時代へ移っていき、そして、そこで生きて、また、このあとも、こんなふうに下の世代へと時代が移り変わるのだなと、人の一生を思います。
今は、何かを見るにつけても、何かをするにつけても、寂しいことですが。