この木なんの木

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この木なんの木 気になる木
名前も知らない木ですから
名前も知らない 木になるでしょう

この木なんの木 気になる木
見たこともない木ですから
見たこともない 花が咲くでしょう

 

ハワイの写真をいろいろ見ていた時、日立のCMソングが気になりました。

 

この木は、モンキーポッドという木です。ハワイの公園にこの木を見に行ったことがあります。

 

不思議な歌詞だなあと思っていましたが、改めて聞いていると、ハッとしました。

 

一体何なの?この人は、と思うと、つい辛気臭くなり、ほら、こういうふうにしたらいいのよ、こうしなさいよ、とか言ってしまいそうです。

 

でも、不思議だなあ、この人何なんだろ?と思ったとき、〈名前も知らない木になるでしょう〉とか、〈見たこともない花が咲くでしょう〉と、その人の持っているものを大切に見守ること、その人が咲かせる花は、私のまったく知らないような花で、その人独自の花を咲かせるのを楽しんで見守りましょうと言ってるような歌詞なんだなあと思うと、なんて素敵な歌詞なんだろうと思いました。

 

 

いつか葉がしげって 幹がおおきく育って
根をひろげて 森になる日が未来
その日をその日を みんなで待ちましょう
夢見て夢見て その日を待ちましょう

 

 

あるいは、今まで経験したことのない新しい暮らしのことをいうのかも。ちょうどコロナの後の世界のように。

 

その新しい暮らしが森のようになってくれるなら、それは素敵なことです。

 

この木なんの木 気になる木
なんともふしぎな木ですから
なんともふしぎな 木になるでしょう

 

この木なんの木 気になる木

みんなが集まる木ですから

みんなが集まる実がなるでしょう

 

人は来てたたずみ 鳥は翼をやすめて
風はそよぎ 星がまわれば宇宙
その日もその日も あなたに会いましょう
この木のこの木の 下で会いましょう

 

この木なんの木 気になる木
名前も知らない木ですから
名前も知らない 木になるでしょう

 

この木なんの木 気になる木
見たこともない木ですから
見たこともない 花が咲くでしょう 花が咲くでしょう

 

こんなふうに人の成長をゆったりと見守れたり、こんなゆったりとした自然の中で人と人とが集えるような豊かな暮らしが生まれて育っていくならいいのですが。

 

でも、ひとつまちがうと、とんでもないコロナ後の社会になってしまうかもね。

 

今日、こんなお誘いを受けました。

 

コロナをきっかけに、こうして同僚のみなさんとネットで繋がれたんだから、この繋がりを大切にして、今後もzoomでいろいろな人と繋がりたいと思うので、またお誘いしたらぜひ参加してくださいね。

 

?? 自粛解除なんでしょ??マスクしながらでも、またみんな集まれるわけですよね、それなのにzoomで繋がるの??

 

いつもお昼を一緒に食べている友達が(この頃は真正面では向き合わず、斜めに少し距離をあけて食べてます🤗)、今日、お昼を食べてるとき、おもしろい想像を話してました。

 

友達の想像

 

これからはお付き合いがzoomになって、そのzoomもどんどん開発されて、画面上ではなくて、そばに立体的に現れるようになってね、その立体的な影を触りながら、あ、あなた、zoomなのね、どっちかわかりにくいわね、などという時代、来るかもよ😄

 

でも、こんなふうにzoomが流行ると、今ならラインでの繋がりがzoomになったら、いややわ。ラインやったらあとで見ることできるしその時はほっといてもいいけど、zoomやったらずーっと拘束されるもの。

 

この友達の話に、たしかにねえ、と思いました。

 

ママ友であったり、中学生や高校生であったり、・・・。zoomのお付き合いにいやでも付き合わないと仲間外れにされるなんてことになったら、長い時間拘束されて、実にややこしいzoom問題が出てきてしまいますよね。

 

また、私が誘われたような、いつでも話せる距離にいながら、今後もzoomでみんな繋がりましょう、というような繋がりを求められるのにも、なんか・・・??

 

zoomやライン電話は離れていると顔が見られたり、高い交通費払わなくても交流できたり、たのしいものだということが今回わかったという経験もあったことでしょう。遠く離れた年老いた両親や外国の友達ともコロナで会えなくても話ができるのですから。

 

またやむを得ない事情で始められたオンラインの授業。あくまでも、やむを得ない事情からのことです。画面で並びあってる友達関係は非常事態でのことです。先生がzoomがおもしろくなってしまってひとり楽しんでいるということがあってはいけません。

 

新しいことをどんなふうに育てていくのか、素敵な森になれるように育てていかないとね。

 

せっかく大変なことを乗り越えることになるのですから、しっかり考えないといけないですね。

 

今回、こんなふうになっていけたらいいなと思うこと。

 

たとえば、デパートや夜のお店の営業時間が短くなりましたので、夜は煌々とした電気を一定の時間になったら消して、原子力発電を使わなくてもいいような暮らしに変えていく。

 

生活必需品を外国に頼らず国産のものにしていく。今回、仕事でアベノマスクを見たのですが、髪の毛が入ってました!ニュースでは髪の毛、虫、黄ばみが多数見られたと。どんなところで作っているのでしょう?衛生用品は何かあった時にも備えて、国産で、信頼のできるところだということが保証されるようなところで作ってほしいものです。

 

自粛期間中、散歩して改めて四季折々の景色を見る時間も持てたので、身体を健康に導きつつ、自然に気づく暮らしを取り戻したい。

 

流行ればいいというようなお金儲け主義の観光客の迎え方ではなく、その土地の文化をしっかり伝えられるような迎え方を心がけた観光産業を定着させてほしい。

年配の女性が派手な色の振袖をお襦袢もつけずに着せられてるというのは、日本人はえ!?と思って見てしまいます。そんなふうに見られてしまってることを知らないその外国の人は気の毒に思うのと同時にほんとの文化が伝えられてないと思うのです。

夏の暑い時に椿の柄のポリエステルの着物を着せられてる観光客も然り。着物は季節の柄、季節の生地を教えてあげないと。着ればいいというようなものではないはずです。

京都の市長さんは自分も着物をいつも着てるのですから、市長としても業者指導をしてほしいものです。

そして、祇園町の風情を壊し、祇園町のお店に迷惑をかけるような観光客のあり方も出ていました。秩序のある観光地にしていくことにも取り組んでほしいものです。

 

コロナの前には京都の土地は、外国人によって多数のホテルを建てるのに莫大なお金が使われ、どんどん買い占められていきました。一軒一軒、何億という異様な額で買い占められていました。計画的な町づくりのためにも、異様な買い占めは京都市として取り締まるべきでした。今やホテルを建て過ぎていることが判明してからというもの、その後は、ホテル建設途中ままの土地と、だだっ広いガレージと、何に使われるのかももはや分からないような空き地ばかりが目立つ街並みに変わりました。もうホテルはこれ以上いりません。コロナの後は外国人が日本の土地をどんどん買い占めていくというような街並みにしてしまったことを京都市は見直していくべきです。

 

働き方もゆとりのある暮らしができるような働き方に改めていく。これも引き続き取り組んでいってほしいものです。

 

ひとりひとりがささやかでもいつの間にか人に支えられていたり支えていたり。自然にかなった環境の中でいろいろな香りを楽しんだり、音楽や舞踊や絵画や文学なんかにも親しみながら、ちょっと工夫してみた美味しいものなんかを一緒に楽しんだりして暮らしていたり。

 

ガツガツと儲け主義に走っていた時代からささやかさを味わって楽しめるようなすっきりとした暮らしが広がっていく。そんな社会になれれば、ガツガツと観光に走ってその地域を荒らすこともなくなるでしょうし、不必要なものを買いまくる消費社会からも脱出できるかも。

 

このコロナの後の現実はまるで戦争が起こったあとのようにもなりそうです。多くの人が仕事を失い、路頭に迷うようなことが起こってきています。学生も大学を辞めざるを得なかったり。でも、仕事はない。子供たちも親の仕事の不調で学校も変わらなければならなくなるかもしれません。

 

まずはそういう人が助けられるように国がしっかりしなくては。リーダーはしっかりしなくては!早く社会の立て直しを少しでも心豊かになれるようにしていかなくては。

 

人は来てたたずみ 鳥は翼をやすめて
風はそよぎ 星がまわれば宇宙
その日もその日も あなたに会いましょう
この木のこの木の 下で会いましょう

 

歌:INSPi

作詞:伊藤 アキラ

作曲:小林 亜星

 

https://youtu.be/WYNC8JzV5j8