京都deお散歩 41 ~ウィングス京都~

 
 
 
 
         京都市男女共同参画センター
 
              ウィングス京都  ~東洞院六角~
 
                                に行きました。
 
 
 
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     きょうは、このウィングス京都の地階でフラダンスの練習をしました。
 
 
 
 
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 ここは音楽室なのですが、ダンスの練習もできるように、片面が鏡になっています。私たちは午前中借りたのですが、午後はフォークダンスの練習で借りている人たちがいました。
 
 ウィングス京都で、以前、女性学の講座を毎週受けに行ったことがありました。もう10年以上前になります。その数年前からジェンダーの問題は新しい分野の学問として確立し始めてきたようでした。
 
 この10年あまりの間に、日本の女性たちの生き方も、大きく変わってきたのだろうと思います。
 
 ドメスティック・バイオレンスということについてもこの女性学の講座で学びました。
 
 女性だけでなく、男性もどう生きるかという研究もようやくなされてきていたのも、このころだったと思います。
 
 入口入ったところには、与謝野晶子の「山の動く日」の石碑がありました。
 
 
 
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      山の動く日 

     山の動く日来る。 
     かく言へど、人これを信ぜじ。 
     山はしばらく眠りしのみ、 
     その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。 
     されど、そは信ぜずともよし、 
     人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、 
     すべて眠りし女(おなご)、 
     今ぞ目覚めて動くなる。 
 
 これは、1911(明治44)年、「青鞜」という雑誌を発刊した平塚らいてう与謝野晶子に巻頭を飾る言葉として依頼した詩の一部です。
 
 「元始女性は太陽だった」と、平塚らいてうが女性の新しい生き方を提唱し、「青鞜」という雑誌を発行したのは、明治の末から大正時代の初めにかけてでした。
 
 与謝野晶子は、突然、らいてうから巻頭を飾る言葉をと頼まれたとき、すぐに依頼を受けたわけではなかったそうですが、それでも、この詩を「青鞜」のために書いて渡してくれたそうで、その時のらいてうにしたら、たいへん感動的なできごとでもあったようです。
 
 「山が動く」という言葉は、今の若い女性にとってはまったく感動的でも何でもないと思いますが、明治の時代には、どれほど先進的で感動的な言葉であったことでしょう。もちろん、「青鞜」は当時の世の中にまったく受け入れられないもので、女性学などというものができて、やっと女性の新しい生き方や男性の生き方を考えだしたのは、ほんのここ10年余りのことです。
 
 私は、大学の1回生のとき、瀬戸内晴美の「美は乱調なり」を読んで、初めて「青鞜」というものを知りました。その本を教えてくれた人が、当時の近代文学の先生で、19歳から20代のころには、平塚らいてうの時代にとても関心を持って過ごしました。
 
 その後、結婚して、子供もできたころ、職場の人に教えてもらって、女性学の講座を勧められ、通い、再び現代の問題としてこういう女性の問題を考える機会を得ました。
 
 もう今ではあまり関心を持たれなくなりましたが、この「山の動く日」という感動は、日本の歴史をたどる意味でも、とても大事なことではないかと思っています。
 
 さて、そういう男女共同参画推進センターであるこの会館で、きょうはフラダンスの発表会に備えての練習をしました。
 
 食事制限、サウナスーツを着てのウォーキングなど、ダイエットの甲斐があって2キロ減。ようやくぴちぴちだったフラダンスの衣装も着られそうです。もうあと一息、ダイエットして、ゆったりと着たいものです。
 
 必死になってダイエットしているけれど、ベリーダンスのテレビ番組を見て初めて知ったことですが、ベリーダンス(おなか踊りという意味だそうです)のようにおなかを出して踊るのは、女性のふくよかなおなかを見せるためなのだそうです。タヒチアンダンスもそうなのでしょうね(もっともぶよぶよであってはいけませんが・・・)。
 
 さて、この建物の中には、スポーツジムのようなお部屋もあります。また、ピアノの発表会もできるようなホールもあります。息子もここで発表会に何度か出ました(懐かしいこと、そんな時代もあったんだ)。
 
 入口には図書館。
 
 ここでは、映画なども見られるようになっています(ピアノの発表会の待ち時間、うるさく騒ぐ男の子たちをここへ連れてきて、映画見せたり本をみせたりして、それはそれは手を焼いたこともあったっけ)。
 
 
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 さて、私はここで午前中を過ごしたのですが、我が家にやってきたタイの留学生の女の子は、きょうは弟が、やはりホームステイをしているタイの先生たちと一緒に奈良に連れて行きました。
 
 これで夕方まで英語はしゃべらなくていいわけです。
 
 どうなることかと思っていましたが、案外、中学1年生レベルのジャパニーズ・イングリッシュでなんとかつたない会話はできるようです。
 
 弟の英語も実にみごとで簡単な、じゃぱにーず・いんぐりっしゅ。私にもわかる。
 
 要は、その気になって平気でしゃべるかどうかのことだけで、世界どこでも行けると弟いわく。
 
 彼女は25,000人の受験生の中で、たった230人しか合格しない、タイのエリート校の理系の生徒のようです。
 
 全寮制で、毎朝、8時から夕方の5時まで授業を受けているとのこと。
 
 家庭学習時間は、たくさん出される宿題をこなすために、2時間。
 
 日曜日は友達とショッピングに行ったりして過ごすそうで、休日は勉強はしないのだそうです(日本の有名進学校の高校生とはちがうようです)。
 
 学校は10階建てとかで、それが10校舎あまりある大きな大きな美しいところのようです。
 
 今回の留学生の女の子は、おっとりして、とても人柄のいいお嬢さんでした。質素な普通の女の子です。
 
 この女の子に出会って、人柄というのはほんとに大事なものだとつくづく感じました。
 
 彼女は私に、財布に入れた両親の写真と妹弟の写真を見せてくれたのですが、穏やかそうな家族です。
 
 きっとちょうどいいぐらいの質のいい愛情を両親からたっぷりかけてもらって育ったのだろうなと思います。そんな中で、彼女はエンジニアになりたいと思って育ったようです。
 
 以前もタイの留学生を預かって感心したのですが、高校生ですでにちゃんと自分の将来の仕事について考えて育っています。
 
 発展途上国とはいえ、日本より設備のいいところで勉強している、国家を背負ったエリート生のようですが、親と離れて寮でくらすという日本の高校生よりはるかに厳しい環境の中で勉強していますが、ゆがむことなく育ってきたようです。
 
 発展途上国の中には、男も女も国を背負って能力を伸ばしていかないといけないという現状もあるでしょうから、「山の動く日」は案外国の側から起こして来たのではないかと思いました。
 
 勉強を一生懸命し、理系のエリートコースという厳しい道を歩みながらも、人間性のよさのようなものは真っすぐに伸ばして成長している留学生を見て、暮らしの豊かさや家族の温かさ、教育の質のよさ、そういうことの大切さというものを改めて感じました。
 
 子供たちが親からの聡明で穏やかな愛情を受けて、できる限り豊かに育ててもらえる社会。能力に合わせてそれぞれが質のいい教育が受けられる社会。そんな中で、猫も杓子も背伸びばかりしなくてよくて、自分の能力と関心に合わせて、自分の力を精一杯伸ばしていける社会。
 
 日本はもう発展途上国ではないのだし、そういうことをしっかり取り組んでいないといけないのに。
 
 17歳の彼女は、今年、日本に留学して大学に通うために、国にお金を援助してもらうための試験を受けるのだそうです。そんな大きな試験を受けるにもかかわらず、おっとりとして、きょうは奈良に行っています。そのあとは、弟が広島へ連れて行くと言ってくれているので、とりあえずは私の出番は、明日の朝まで。
 
 ずっと片言の英語で会話というのは大変だけど、じゃぱにーず・いんぐりっしゅ!でがんばります。
 
 今、少しでも自分にできることをして、ほんの数日とは言え、17歳ですでに大きなものを背負っている彼女の力になれたらと思います。
 
 そして、彼女に、本当の意味で、「山の動く日」がくればと思います。
 
  さて、5月。
 
 我が家のベランダはまだまだ春のパンジーシクラメンのままです。
 
 
 
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 でも、そんなベランダにも、初夏の風。
 
 レモンの花のつぼみが膨らみ始めました。
 
 
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