ぱんdeおしゃべり 3 ~生キャラメル~

美味しいお菓子を作りましょう!

生キャラメル

ぱんdeおしゃべり******************************************************

 生キャラメルを作りながら、伯母にこんな話を聞きました。 
出来上がった生キャラメルを包む作業をしていたとき、母が、「そういうと、昔、キャラメル工場に行ってたんとちがった?」と伯母に聞いていました。
 
 伯母は、女学校のとき、兵隊さんに贈るキャラメルを作る工場に毎日通っていたのだそうです。その時、モンペの下に、ポケットをいっぱいつけたモンペをもう一枚はいて、そこにこっそりキャラメルをいっぱい隠して家に持って帰っていたのだそうです。それを母や母の妹が毎日楽しみに待っていたのだそうです。「モンペの下に、もう一枚モンペをはいていたからもうぶかぶかのかっこうやった」とその恰好を伯母がして見せるものだから、大笑いしているうちに、その時作りかけていたフランスパンが発酵オーバーになってしまったのです。キャラメル工場の話がおかしくて、だいぶ長い間、ほったらかしになってしまってました。

 伯母は、女学校に通っていたのですが、学校から、英語関係のものをすべて持ってくるようにと言われたそうです。次の日、伯母が教科書しか持って行かなかったら、「もっとあるだろう」と言われ、「英語の辞書はお父さんが持って行ったら怒らはるからこれだけです」と言ったのだそうです。祖父は、英語が好きで、実は家にはたくさん英語の関係の本があったそうです。そのため、伯母は、「非国民」と言われたとか。

 伯母は、キャラメル工場だけではなく、女学校からいろいろなところへ行かされたのだそうです。大阪の工場まで出かけていったこともあったそうです。

 そのため、6月1日の大阪の大空襲の日には、大阪で空襲に会い、線路伝いに京都まで逃げ帰ったのだそうです。家ではもう命を落としたのかと家族は心配していたのだそうですが、伯母は、真夜中にやっと帰り着き、その時、大阪のほうをみたら、空は黄色になっていたのだそうです。ほんとに怖かったと言っておりました。その空襲のあと、大阪の工場に行くと、梅田の駅の周辺には死体がいっぱいあり、それをトラックに山積みにして運んでいたのも見たのだそうです。

 また、戦時中は、空襲警報がなると、家の入口を開けないといけなかったそうです。当時は四条大宮から松原までのあたりまでが、持家だったそうで、空家になっているところもいくつもあり、そこをみんな鍵を開けて回るのが、伯母の役目だったそうです。空襲が終わったらまた真っ暗の中をひとりで鍵をかけて回るのがどれほどいやだったか、だれもしてくれないんやもの、という話も聞きました。
また、燃やすものがだんだんなくなってくると、空家になっている持家を壊して、その木を燃やしたそうです。それでご飯を炊いたりしていたとか。ああ、そうそう、パン焼いたのも、その木やったなあ、釘は国に納めてたなあと、いう伯母の話でした。  
 
 母の父は、電気のものを作ったりすることが得意だったようです。それで、戦後、出来上がったのが手作りのオーヴン。伯母の話では、木で作った箱を下向きにかぶせ、下に鉄板を敷くのだそうです。そこに電気が通うようにコード線をつけ、電気オーブンにして、パンを焼いたとか。

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生キャラメルは人気を呼んで、なかなか手に入れることはできませんが、案外簡単に家庭で作ることができます。口の中に入れると柔らかくて、甘味もあっさり系です。

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【生キャラメルのレシピ】

   グラニュー糖   90g
   水あめ       50g
   はちみつ      20g
   コンデンスミルク 90g
   バター(無塩)   50g
   バニラビーンズ  1/4本
   塩          少々
生クリーム     60g

なべに生クリーム以外の材料を入れて、弱火でたえずかき混ぜながら煮る(約8分)。
キャラメル色になったら、温めた生クリームを入れて、よく混ぜる。
こんがりペーパーを敷き詰めた6号パットに流しいれる。
粗熱がとれたら、冷凍庫で20~30分冷やし。切りやすいかたさにして切り分ける。
切り分けたらすぐにキャラメルセロファンに包む。冷蔵庫で保存する。