きょうのダイエット 22 ~一日1食分のダイエット 7日目~

 
 
               一日1食分のダイエット 7日目 
 
 
 ダイエットを始めて1週間となりました。お腹の具合は、すっかり落ち着いてきて、少しの分量でお腹が膨らむようになりました。
 
 ただ、この1週間、今までよりも気をつけて野菜をたっぷり食べていたように思います。
 
 たんぱく質も私の年なら、これぐらいで十分かもしれません。
 
 私はもともと自己免疫疾患の後遺症で、腎臓が一部悪くなってしまったので、たんぱく質は人よりも少なめにするという食生活をしなければならなかったために、これでちょうどよかったかもしれません。
 
 運動量も増えています。朝歩いて通勤すると、朝からからだが熱くなります。そして、夜に1時間ダンスの練習をすると、たっぷりと汗をかきます。
 
 今度のフラダンスとタヒチアンダンスの発表会が終わったら、思いっきり食べようかしらと思っていましたが、今のお腹の具合だと、そういう感じではありません。
 
 慣れればほどほどでやっていけそうです。
 
 今朝は、いつも通り、コーヒーと(朝のコーヒーもくせになっていますが、これは自分に許しておきましょう)、ヨーグルトと、天草晩柑を半分。
 
 お昼のお弁当は、冷蔵庫の整理をかねて、ベーコンを使ったジャーマンポテトとオムレツ卵、梅干しと木の芽煮の入ったおにぎりをいつもの小さなお弁当箱にぎっしり詰め込んで。
 
 そして、朝の残り物の、天草晩柑のあと半分も食後に食べました。さっぱり、美味しかった~
 
 
 
 
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  夜は、やはり冷蔵庫の整理をかねて、具だくさんのスープ。
 にんじん、レタス、しめじ、トマトを片っ端から入れて、鶏肉、お豆でたんぱく質をとります。レタスは、外側の緑の濃いところがたくさんついていて、あまりにもきれいな色で、捨てるのがもったいなかったので、それを洗って入れることに。
 
 
 
 
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 腎臓病食でいうと、これでもたんぱく質は多すぎるのですよ。卵を2と数えて、鶏肉少々で合計3。これだけが限度です。朝にヨーグルトを食べて、夜にお豆も食べているので、これではオーバーするのです。
 
 病院では、ほんとにほんの少しのお魚やお肉が出ていました。1回でお魚でいえば、5cm角ぐらいのぺらんぺらんの切り身などです。こんなので病気が治るのかしらと訴えたのですが、これだけしかだめなのですって。
 
 たんぱく質でカロリーがとれないので、毎日毎日食事に出されていたのが、春雨のサラダです。春雨を戻して、マヨネーズをかけて食べるのです。
 
 腎臓食っておもしろくて、油分や糖分はまったくだいじょうぶなのです。だから、ケーキなんかもまったくだいじょうぶなのです。
 
 ただ、ステロイドをたくさん飲んでいたので、カロリーはぐっと抑えられていましたので、食べさせてもらえませんでしたが。
 
 お薬では治療の限界にきていたとき、ウォーキングを始めました。実はその時も、ステロイドの副作用でものすごく太ったので、ダイエットを始めたということだったのですが、そのウォーキングがものすごく病気の回復に影響を与え、見る見るうちに血液検査の値がよくなりました。おまけに喘息まですっかり治まり、その後、あれほど困っていたのに、まったく出ません。
 
 そして、ウォーキングだけではもう限界がきた時に、たまたまタヒチアンダンスを習い始めたら、これも驚いたのですが、急にぐんぐん自己免疫疾患の病気の値が落ちて行ったのです。今も落ち続け、もうあと少しで病気も克服かもしれません。
 
 どうも骨盤あたりに病気回復の何かがありそうだなぁと思っているのです。このあたり、神経がたくさん通っていて、動かすことってとても大事なのだそうです。歩いたり、腰を揺らしたり、そういったことが大切みたいです。
 
 たぶん、そういうことをあまり今までしてこなかったから、病気にもなりやすかったのかもしれません。
 
 人間って、今までしてこなかったために、その部分があまり使われていないと、何か支障が起こるのかもしれません。
 
 自分にとって、何が欠けているのか、なかなか自分ではわからないものですが、ある時ふっと、そのヒントに出逢えるのかもしれません。
 
 からだはもちろん、今まで考えてこなかったことや、今まで抜けてしまっていたことなど、自分の生き方でもいろいろそういうことってあるのでしょうけど、なかなか自分ではわかりません。
 
 人生において、何か支障が生じた時、実はその欠けていたことや、抜けていたことがその支障を起こしているのかもしれません。
 
 それにどう気づくかということなのでしょうけど、たぶん、それはとても難しくて、気づかせてもらえる何かに出逢えるというのは、ありがたいことで、そうした時に、ひとつ、ひとつ、幸せになっていけるのかもしれません。
 
 長いこと生きているけど、気づいていないことがいっぱいあるのでしょうね。何かピンチになったり、しんどくなった時が、そのヒントに気づけるときなのでしょうけど、なかなかむずかしいようです。