ぱんdeおしゃべり 23 ~豆とくるみの抹茶ロール・パン~

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美味しいパンを焼きましょう!

豆とくるみの抹茶ロール・パン


お正月らしく、大納言あずき・うぐいす豆・くるみを使ったロールパンに、抹茶をブレンドしました。



ぱんdeおしゃべり******************************************************

 初詣。今年は私の生まれ育った町の氏神さんをお参りしました。

 粟田神社は、スサノオノミコト・オオナムチノミコトが祀られた京都の東山のふもと、粟田口にある古い神社です。

 粟田口というのは、京都の三条通り白川橋より東、蹴上あたりまでを言います。このあたりは、奈良時代以前から開けた場所で、平安京ができると、東国との交通の要所になったところです。

 京都には昔は入口が7つあったと言われていますが、この7つは、時代によって異なるようです。出入り口を設けて、関所にし、通行料を取ったということのようです。

 江戸時代になると、東海道の最終地点である三条大橋までもうあと少しというところでもあり、近江の国からいよいよ京都に入って行く交通の要所として栄えました。

 芥川龍之介の「芋粥」という作品にも登場します。

   「すると、粟田口辺でござるかな。」
   「まづ、さう思はれたがよろしからう。」
       (略)
  
   「粟田口では、ござらぬのう。」
   「いかにも、もそつと、あなたでな。」
       (略)

   「では、山科辺ででもござるかな。」
   「山科は、これぢや。もそつと、さきでござるよ。」
   かとする中に、関山も後にして、彼是、午(ひる)少しすぎた時分には、とうとう三井寺の前へ来   た。
       (略)

   「実はな、敦賀まで、お連れ申さうと思うたのぢや。」笑ひながら、利仁は鞭を挙げて遠くの空を   指さした。その鞭の下には、的(てきれき)として、午後の日を受けた近江の湖が光つてゐる。

といった具合に、粟田口、山科、近江の国となります。                     

 粟田神社は、昔は、これからの旅の安全を願い、あるいはまた京都までの道中の無事を感謝してお参りした神社だったそうです。そのため、旅立ち守護の神として知られるようになったとのこと。

 粟田口と呼ばれるこのあたりは、平安時代の終わりには、刀鍛冶がたくさん住んでいたところでもあります。私が通っていた、今はもう廃校になってしまった粟田小学校の校歌には、三条小鍛冶宗近のことが歌われていました。三条小鍛冶宗近の刀は、時代祭長刀鉾に、もともと使われた刀だと言われています。

 また、これも今はもう跡地として名を残すばかりになっていますが、粟田焼と呼ばれる窯ができたところでもありました。

 粟田神社の石段を登ると、平安神宮の赤い鳥居が、そしてまたその横には大文字のひとつである鳥居の形が見えます。

 神社の端っこの方には、どの神社にもよくあるような能舞台があるのですが、今ではこれもかなり古くなり、まったく目立たなくなってしまっているのは、残念なことでした。

 また、一番残念だったのは、昔は子供たちはこの粟田神社の隅っこのところにある粟田山の登り口から、山を登り、将軍塚までよく登ったのですが、山の登り口は鉄の柵ができていて、もう登れなくなっていました。

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【豆とくるみの抹茶ロール・パン】
菓子パン専用粉   485g
抹茶         15g
  イースト        8g
  砂糖         20g
  塩           8g
  スキムミルク     20g
  バター(有塩)    60g
  全卵         80g
  水         180g
くるみ        100g
大納言あずき     200g
うぐいすかのこ    200g


^貅“酵  40分
■恩弔吠割。丸め。
ベンチタイム  15分
だ型  めん棒で四角く伸ばし、あずき、うぐいす豆、くるみをのせて巻き込む。
セ転紊家酵 25分。
ν颪鮑?咾播匹襦
Дーブンで180度、20分焼く。