ぱんdeおしゃべり  12 ~ヨーグルト入りスコーン~

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美味しいお菓子を焼きましょう!

ヨーグルト入りスコーン


ぱんdeおしゃべり******************************************************


 今回はスコーンでちょっとひと休みしながらのおしゃべり。以前、小学校の時の思い出を書いたので、今回は中学校時代の思い出。

 私学の女子中学校でした。今のように塾で受験勉強を小さいときからして受験というような時代ではありませんでした。小学校の時のクラスメートは34人中8人ぐらいが受験して、6人がみんなそれぞればらばらの私学に行きました。おそらく当時としてはめずらしく多かったと思います。

 私の入学した中学校はクラス数も2クラスで、こじんまりとした学校でした。大正時代に建てられた西洋建築の校舎でした。後で知ったのですが、新しい校舎を建てるまでの仮の校舎で、もともとは大学の校舎の一部だったようです。

 玉虫色の屋根、アーチの入り口、中庭には噴水があってその周りは芝生でした。噴水の周りには水色のベンチがいくつも置いてあり、そこに座ってのんびりおしゃべりしたりもしましたが、たいていは中庭で10分間の休み時間にさえ、大縄跳びをしたり、バドミントンをしたり、ほんとによく遊びました。

 音楽室は奥まったところにありました。私は音楽クラブでした。中1の音楽の時間にはさっそく歌のテストがあって、その時に先生にスカウトされたのです。小さいときからお客さんが見えたら歌を歌いたがった私としては、これはかなり嬉しかったことでした。週に2回の放課後のコーラスの練習。フォスターの曲を何曲も習いました。音楽室ももちろん大正時代の校舎ですから、木造で、アンティークな机といすが置かれていました。音楽クラブの顧問の先生が毎回コーラスの指導をされます。あまりにも一生懸命で、リズムをとるのにプラスティックのものさしで机をぱんぱんたたかれるものですから、後ろからその破片が飛んでくるのです。何か痛いなあと思っていたら、先生が気がつかれた時にはものさしは半分割れてなくなっていました。それほど、熱中して指導されてたのですが、中学2年生のときに亡くなられました。1年半ほどでしたが、放課後、アンティークな音楽室でアメリカ民謡を練習して、ホールを借りてのクラブ発表会で発表したことは、懐かしい思い出です。

 また、校舎内には階段教室もありました。なんせ元大学の校舎ですから、まるでイギリスの古い大学のような感じです。この部屋での思い出は、英語同好会。中学2年のときに、英語の先生が、英語でお話を読みましょう、読んでみたい人はどうぞと声をかけられましたので、大勢の生徒が集まったのです。階段教室はふたクラス分ぐらいは入れる教室でしたが、ひとクラス分ぐらい集まっていたと思います。初めて読んだ英語の本は「THIEVES MISTAKE」。夕暮れ時、あたりが薄暗くなった教室で、泥棒が失敗する話を一生懸命予習までして先生に教わりながら読んだことも懐かしい階段教室での思い出です。

 英語の思い出にはもうひとつあります。「Shall we~?」の構文を習ったとき、先生がレコードを持ってこられて、何やら楽しそうな歌を教えてもらいました。それが、「THE KING AND I」の主題歌の「SHALL WE DANCE?」でした。1956年に公開されたアメリカのミュージカル映画で、19世紀、夫を亡くしたイギリス人女性がタイの王室に、王子や王女の家庭教師に入り、封建的な王室に近代の風をもたらし、王様と対立するのだけど、だんだんとふたりは惹かれあっていくというお話です。主演男優は王様役のユル・ブリンナー、主演女優がアンナ役のデボラ・カーでした。レコード盤のジャケットの写真がダンスを踊ろうとしている王様とアンナでした。「Shall we~?」の構文を「王様と私」のミュージカル主題歌で覚えられたというのも、懐かしい思い出です。ちょうど母の世代の映画だったので、参観日には、お母さんたちと合唱しました。

 ダンスの授業がありました。1960年代の終わりの当時としてはめずらしい教科でした。ダンスの部屋は地下の大きな鏡のある部屋です。今のようにテンポの早い曲ではなく、「月の砂漠」など、ゆっくりとした曲を指の先まで神経を使いながら踊りました。厳しい、シャキッとしたダンスの先生でした。小柄だけど、髪をポニーテールにくくり、立つ姿勢もいつもポーズをとっておられました。
 
 ある時、お昼休みだったのですが、クラス数が少ないので、あまっている部屋がいっぱいあったので、教室の隣にある学年の学習室で遊んでいたら、だれかがこっくりさんというのをやり始めました。友達の指が動いていくのです。そうしたら、だんだんみんな怖くなってきたのです。中学2年生はパニックに陥り、5時間目の宗教の先生に「こっくりさんって、ほんとにいるのですか!?」と聞いて、その日の授業はみんなパニックに陥ってましたから、こっくりさんについてのお話の時間になりました。こっくりさんというのは、戦争中、疎開先で、子供たちが、いつ戦争が終わりますか?と聞いて、子供たちがお父さんやお母さんに会える日を待ちに待った占いにも使われたようです。そういう話を聞いているうちに、みんなの気持ちも落ち着きだしたのですが、以後、私はこっくりさんは怖くてしていません。

 お天気のいい日は窓から外を眺めると、中庭の噴水のところに、犬が水を飲みにやってきていました。青空に雲がぽっかり浮かんで、のどかでした。中1の時には、教室のだるまストーブの横で、犬を飼っていたこともありました。
 
 校舎の2階の片隅に、ひっそりいつも窓の閉まっている小さなお部屋がありました。カウンセリングルームです。今から40年も昔から、カウンセリングルームがあった学校でした。友達が痴漢にあって泣いていたとき、みんなでカウンセリングルームに行ってきたらいい、と連れて行ってあげたこともありました。中1の時でした。

 美術の時間の写生は校舎です。美しいアンティークな西洋建築だったので、いろいろなところを絵にすることができました。中庭には南国の木も植えられていました。

 中学1年のときには、子供はどうして生まれるのか、というのを、家庭科室のお掃除の時間に友達から聞きました。みんなショックを受けたのです。それを知っていた友達だけがみんなの知らないことをみんなに言えて楽しそうでした。箒を持ったまま、何も言わずにじっと聞いたのです。みんなそれぞれ大人に言えない秘密ができてしまいました。

 夏休み、比叡山に泊って、朝には山の中で詩を書いたり、絵を描いたり、植物探したり、また、離れ島にキャンプに行ったり(私は夏風邪ひいていけなかったけど。たいへんだったそうで、行けなくてよかったらしい)、丹後地方に研究旅行に行ったり(これも私は夏風邪ひいてお休み)、体育祭したり(走るのが得意で走ってばっかりだった)、文化祭したり、家庭科の時間にブラウスを作ってファッションショーをしたり(中1の時だったので、出来上がった時には成長して、窮屈になっていました)、生徒会ができて、生徒会長の選挙に友達が出るというので、応援演説したり、いろいろなことが浮かんできます。
残念なことに、校舎は中学を卒業した年に取り壊されて、もうありません。

【ヨーグルト入りスコーン】栗原はるみレシピからの一部アレンジ
   バター  50g
   薄力粉 250g  
   ベーキングパウダー 大さじ1
   砂糖 大さじ1
   プレーンヨーグルト 50g
   卵1個
   牛乳 大さじ3

.丱拭爾錬隠磽躋僂棒擇蝓△茲冷やす。
▲椒Ε襪貿?亙粥▲戞璽ングパウダー、砂糖をふるい入れ、バターを指先で粉にもみこんで、サラサラの状態にする。
ヨーグルト、とき卵を入れ、軽く混ぜる。牛乳を入れ生地を一つにまとめる。
で?亙瓦鮠々ふった台にまとめた生地をのせ、手のひらで2~3cmの厚さにのばして5cmの型で抜く。
ゥッキングペーパーを敷いた天板に並べ、170度で約
12分焼く。

*ジャム、メープルシロップ、はちみつをつけていただく。