早朝ワーキングのあとは
ラジオ体操で整理体操
予定していた仕事がキャンセルになり、昨日からしばらく夏休みに入りました。
夏休み初日は窓と網戸洗い。
そして、今朝は、6時に目覚めたので、堀川通りから二条城のまわりをいつものように軽くウォーキングしてきました。
堀川通に、七夕の笹
京都では、今、旧暦の七夕のための行事が予定されていて、二条城や堀川通りの北の方もその行事開催の場所に指定されています。
今年は、東北の復興を支援するための行事になっています。
七夕って、7月7日の夜に、夜空を眺めては「晴れたから今頃は・・・」とか、「今年は雨降りだし、逢えなかったんだなあ・・・」とか思っていましたが、旧暦だと今頃になるようです。
昔は真夏のかんかん照りの頃。空気の綺麗な夜空には、天の川が見えたのでしょうね。やはり旧暦で思いをはせないといけないようです。
さて、夏休みは、毎年そうなのですが、早朝ウォーキングをちょうど終える頃に、地域の小学校跡地でラジオ体操が始まるのです。それで、毎年、夏休みには、早朝ウォーキングあとの整理体操として、参加しています。
ラジオ体操は、戦前、アメリカの保険会社が体力向上のために作った体操がもとになり、国が作り上げたもののようですが、今の体操は、それを引き継いで、戦後、国民の体力向上のために作られたようです。
少々全体主義的な感のあるものではありますが、それでも真剣にしっかりとその通りにからだを動かしていると、あちこちの筋肉のストレッチにもなるし、朝にまずからだを整えるのにはもってこいの体操ではないかなと実感し、毎年、できるだけ参加しています。
ラジオ体操は今はもう廃校になった小学校跡地で行われています。
旧格知小学校
京都では、明治になって建てられた、創立100年を超えるような小学校が幾校もありましたが、最近では、子供の数が激減したために、どんどん合併されて、名前を変えていっています。この学校「格知小学校」もそのうちのひとつです。
「格物致知」
事物の道理を追究して、極め
知力を磨き完成させていくこと
この小学校では、息子も小学校2年生まで学んでいます。1学年16名で学びました。まるで「二十四の瞳」のような分校並みでした。
傑作だったのは、運動会では16名しかいないのに、4人ずつ走るので、そのままだとあっという間に終わってしまうのです。そこで、ひとりずつ、マイクを持って名前を言い、「がんばります!」などという決意を言ってから、「ようい、ドン!」だったのです。それでもお昼には全競技終了していました。
今では選挙のときか、ラジオ体操のときでしか行くことはなくなりましたが、それでも今でも桜の木も春になると満開に花を咲かせるし、こんな像までひっそりと残っています。
二宮金次郎の像
昔はどこの小学校にも一番見えるところに置かれ、「二宮金次郎は家が貧しくて小さいころから仕事をさせられていたけど、仕事をしながらも本を読んで勉強したんや」と教えられましたが、今では校庭の片隅に隠れたように置かれています。
さて、ラジオ体操開始の時間合わせに、学校のまわりを歩いていましたが、すぐ近くに、道元禅師の亡くなった跡地があります(病気療養のため入洛。その後、まもなく54歳で亡くなったようです)。
この土地(家1軒分ほどの広さです)、どこの土地なんだろうと思っていましたが、置かれている立て札に、「永平寺」となっていました。永平寺の土地のようです。福井県のあの永平寺がこんなところに・・・、と思うと、少々感慨深い感じ。
また、すぐ近くには、ごく普通のおうちで、豪華な振り袖が飾られている問屋さんらしきおうちもあります。
呉服問屋さん街、室町の近くでもあり、また、このあたり、着物の捺染をしているおうちが今でも何軒か残っているところでもあります。
でも、今では大きなお店は相続税の関係か、どんどんなくなってしまい、マンションがたくさん建てられています。
さて、今朝は朝から台風の影響か、東風がきつくて、小雨もぱらぱら。汗もかくことなく、1時間あまりのウォーキング。
部屋にもずっと窓から湿った強めの風が入ってきています。外は、どんより曇り空。
あさってのフラダンスとタヒチアンダンスの発表会のために、練習したり、間際のあまり効果を期待できないダイエットに挑戦したり(今頃、もうむりでしょうねぇ・・・)して、きょう一日を過ごします。