京都deお散歩 8~仁王門通りから要法寺へ~

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 新間之町仁王門にある新洞食糧老舗に米ぬかを買いに行った帰り(「京都deお買いもの」をご覧ください)、昔懐かしい通りを歩いてみました。

 新洞小学校というのがすぐ近くにあるのですが、この小学校は、父の母校です。まだ統合されることなく残っているようです。

 このあたりは、「新」という名前がついて、「堺町」「柳馬場」「麩屋町」「間之町」「丸太町」など、別の場所にもある名前がついています。ここは、新寺町界隈というところなのです。鴨川より東、東大路より西、二条通りから三条通りにかこまれた一画にあたります。

 「宝永の大火」1708年に、京都御所付近がすべて焼失して、その後の都市計画で、現在の京都御所の区画になったといわれてます。

 その都市計画で、元京都御所付近に在ったお寺がこの新寺町へ移転され、現在に至っているとのことで、それで、この界隈にはお寺がいっぱいあります。

 東山仁王門をちょっと西に入った仁王門通りの「寂光院」というお寺は、静かなお寺なのですが、子供のころはここがちょっとした探険の場でもありました。静かだから、遊びに入るようなお寺ではないので、そこに入るということ自体がちょっとドキドキものでした。そして、このお寺の裏は、私たちがいつも遊んでいた大きなお寺「要法寺」の裏にあるお墓と隣り合わせていたのです。子供なら柵を抜けることができるので、こっそりそこを抜けてみたりして、探険していたのです。

 仁王門通りは、あっちもこっちも、お寺、お寺、お寺の通りです。新間之町仁王門を下がったところには、昔は「塩湯」というお風呂屋さんがありました。どうもお湯にお塩を入れていたようです。今ではアパートになっていますが、お風呂にお塩を入れるというのは、なかなかよさそうです。

 そして、新間之町をさらに下がると、孫橋通りに行き当たります。そのあたりにももう一つお風呂屋さんがありました。「柳湯」と言いました。

 孫橋通りを東に行くと、要法寺という大きなお寺があります。ここは、日蓮宗大本山だそうです。このお寺、私たちの遊び場でした。野球もできたし、自転車も乗れたし、その他、お寺のものを使って実にいろいろな遊びをしたものです。

 夕方6時になると、鐘つき堂に「マル」という犬を連れたおばあさんが鐘をつきに行きます。ご~~~ん……、ご~~~ん……。この時間帯になると、トンビがお寺の本堂の上のほうを大きく輪をかいて飛ぶのです。鳩がいっぱいいたので、それを狙ってくるのでしょう。からすも鳴いていました。「からすが鳴くからもう帰ろう」と言いながら、その鐘を合図に子供たちは帰っていったのです。

 このお寺、小さいときに本堂の横の渡り廊下が燃えたことがありました。夜空が真っ赤になりました。

 また、隣の家が火事になった時も、このお寺の大きな門のところで、家が燃えるのを見ていました。

 関東大震災のとき、家をなくした谷崎潤一郎が、きれいな奥さんとともに、このお寺に一時のがれてきてたそうです。その際、東山仁王門にある、満足稲荷神社の縁日の日、夜店で奥さんがかばんをなくされたのを拾った人がいたようで、要法寺の仮の住いに届けたという話が、京都の出来事を書いた昔の古い雑誌に出ていました。

 満足稲荷神社は、小さい頃、裏通りいったいに夜店が出て、浴衣を着て連れて行ってもらっていました。金魚すくいをしたり、ガス風船を買ってもらったりしたのは、古川町商店街の通りを北に行った神社の裏通りです。

 さて、この要法寺ですが、昔は柔道を小さいほうのお堂で教えたはりました。先生は、このお寺にほねつぎのお店を出していたひとり暮らしの人でした。夕方になると、よく母に柔道の練習を見に連れてもらっていました。

 要法寺にはいっぱい思い出があります。このお寺、ここ数年、毎年新聞で紹介されるようになりました。それは、お寺にある池に、カモが毎年やってきて、ここで卵を孵し、赤ちゃんガモがたくさん生まれるようになったからなのです。お寺の人がキャベツとかを与えて面倒をみられているようです。そのカモたちが、ある日になると、お母さんを先頭に、鴨川まで親子で移動をするのです。その日になると、警察に連絡をし、警察官が保護し、みんなに見守られながら、よちよちと鴨川に歩いて移動していくのです。

 その様子が毎年新聞に出ます。

 おもしろいのは、お父さんはどうも毎年ちがうみたいです。ある年のお父さんは全然家庭を顧みないで、好き勝手に自分だけどこかへ出かけてしまっていたりしたのに、ある年のお父さんは、とても子煩悩だったりするのだそうです。

 ときどき、みんなと一緒にお寺の池を出られない子ガモがいるようです。でも、心配いらないそうです。お母さんがちゃんと迎えにやってきて、鴨川に連れていくのだそうです。

 写真は上から、要法寺の門。

 次が鐘つき堂と野球でホームベースと決めていた場所。
    
 その下が、この屋根を越えたらホームランと決めていた正門の大屋根。

 その下は、本堂とカモがやって来る池にかかる小さな太鼓橋。

 最後の写真の右横の小さな屋根のついているところは、いつも生まれたばかりの猫が捨てられていたところ。ここには、ドラえもんの漫画のように、下水工事をするための土管が置かれていて、そこでも遊んだものです。