長崎の旅 その3
上にあげた右手は原爆が落ちてきた空を指し、横に伸ばした左手は平和を表しているのだとか。
左足は立ちあがろうとしている姿。右足は瞑想を表しているのだとか。
平和公園で像を見ていたら、地元の方が寄って来られて、説明してくださいました。
長崎は出島もあり、いろいろな国の人たちが暮らしていた街で、当時も、さまざまな国の人たちが原爆の被害者として命を失いました。
すぐ横に、無縁仏となった人たちを祀る建物が建てたらたのですが、そのほとんどの人たちが、いまだにだれなのかわからないままだそうです。
各国の人が長崎を訪れた時、宗教がそれぞれちがうので、この像は、いろいろな国の人たちの宗教にも合わされて作られているのだそうです。
修学旅行生は1団ありましたが、あとはお祭りの日とはいえ、ここはとても静かでした。
昔は鳩の糞だらけでだいぶ汚れた像でしたが、今回訪れてみると、青銅の色がとても美しく、秋の青い空に大きく、堂々と見え、この前に立つと、平和について思いを深くするというような気持ちになりました。
こうして、時々、こういう像の前に立つことは、とても意味のあることだと静かに思いました。
坂の多い街なので、この像を訪れるのにもだいぶ階段を上がるのですが、お年寄り
でも楽に来ることができるように歩く歩道やエレベーターがいたるところにつけられていました。 お隣は原爆が落ちた中心地に作られた公園でした。その向こうには原爆資料館。
二日目は市電や市バスで、午前中に、このあたりだけを巡りました。
第二次大戦中、貧しい暮らしの中で、布教用の印刷物を作るため、仲間と働いていた印刷所が、大浦天主堂前の坂路の、観光客の気づかない一角に残っているそうです。
そして、そこで、哀れな人の身がわりに、自ら申し出てなり、飢餓室に送られ、食べ物も与えられず、最後は注射を打たれて亡くなったのだそうです。
コルベ神父が日本滞在中に寝起きした部屋も残っているそうです。
キリシタン弾圧もそうですが、平和への思いを改めて感じさせられるような場所が長崎にはあり、その土地を訪れて、いろいろと想像してみる機会を得る時間が持てた旅でした。