昨日に引き続き、今夜も冷蔵庫を大整理。いつもついつい買い過ぎては捨てているので、しばらくは使いきることを目指して、整理、整理にいそしみます。
ほんとうは白菜とおあげだけを炊く予定だったのだけど、きょう観た映画がショックで、いろいろ考えながら冷蔵庫の中のものを次々と放り込んでしまい、かなりの具だくさんな煮物になりました。
白菜、水菜、えのき、しいたけ、にんじん、おあげ、お豆腐。
おだしに、多めのみりんと、濃い口と薄口のお醤油を入れて味付け。
具だくさんだと、妙にいろいろないい味が出るのか、すごく美味しかったです。
ショックで、いろいろ考え込みながら冷蔵庫の中のものを次々に入れてしまっていたのは、何の映画であったかと言いますと、、「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」でした。
きょうは、パントマイムを観て、そのあと友達とランチを食べた後(「きょうのランチ 43」http://blogs.yahoo.co.jp/yuri_no_hana001/30491687.htmlをご覧ください)、おしゃべりし、さよならしたのが2時過ぎ。
四条烏丸の銀行をうろうろしていたら、3時前。
ずっと気になりながらもどうも観に行く勇気がなくて、そのままにしていたのですが、ちょうど始まる時間。思い立った時が吉日。これを逃すと、きっと観る勇気がわかなくなる。エイッ!というわけです。
小さかった頃、三島由紀夫のこの事件は、テレビの生放送で観ていました。最後、自決しました~という報道があり、その結末の意外さに幼いながらも驚いていたので、この映画はずっと気になっていました。
左翼系の学生たちが、あの時代、ほんとうによく大暴れしていたのは、私も見てきました。京大の近くに実家があるので、目の前を火炎ビン持って投げている学生、機動隊に捕まっている学生なども見てきました。
そういう時代の話です。
派手な動きを展開していた左翼系の学生たちに対して、この映画は、右翼系の三島由紀夫と、彼を崇拝する若者たちの話です。
観終わった時、右翼系も左翼系も、どちらにしても、なんらかのまちがいはあったとはいえ、今の私たちより、とても深刻に日本を変えなくては!と必死で動いていたのだなと思いました。特に、三島率る盾の会に至っては、命をかけて日本を守る、という真剣なまでの思いを持って行動していたということにはまちがいありません。
そういうふうに、自分の暮らす国に対する思いは、今では、かなり消極的になってきたなあということは強く思いました。そして、○○首相の、「命をかけて云々」の言葉のなんといい加減なこと。彼はこの映画、見るべきかもしれません。
この映画、一番真剣で必死だったのは、三島より、彼を崇拝する森田必勝という若者だったと思います。森田がいなかったら、果たして三島はこういう事件を起こすまで至っただろうかとさえ思いました。
三島が「死は美だ」ということばを何度も言っていましたが、この映画を観る限りでは、三島は森田という真剣なまでに三島を崇拝し、命をかけて日本を守ろうとする若者の張り詰めた思いや生き様に「美」を感じ、彼に押されてこういう行動に出る決意をせざるを得なかったのかしらとさえ思いました。
森田の美を完結させてやるために、他の若者の命は失わせることなく、自分がそれに付き合ってやった、みたいな描き方に思われました。
実際には、おそらく、三島の言う「死の美」を自分に完結させるなら、もうこういう生き方(死に方)しか、最後、残されていなかったのではと思います。
三島のボディービルをしていたようなあのからだを思うと、彼は、自分をとても美化していたことはまちがいないだろうし、あのようなパフォーマンスを演じて、最後に自らに美を飾ったのでしょうね。
映画を観て思ったことのもうひとつは、理性を失っていなかったという描き方。
自分と、最も命をかけて三島に従いたがっていた森田以外の命は奪うことなく事を完結させたことをどうもそのように描いていたと思います。
命をかけるのは、それによってインパクトを与え、訴えの印象を強烈に残すことであるという思いから、死を決行したわけです。
実際にはいやな印象しか残らなかった当時の事件でしたが、この映画を観て、私たちも、もう少し真剣に自分たちの暮らすこの国については考えていかないといけないという思いを抱きました。それと、複雑ではあるけれど、自分の生き方を美化するには、三島はこの死に方しかなかったのかなとも思いました。ただ、森田を筆頭とする、若い、真剣なまでに思い詰めるエネルギーを、死の方向へとしか向けてやらなかった三島の導き方は、やはり間違っていたと思います。三島の崇拝者を作っただけではなかったかと思いました。森田の若さをもっと別の方向へと導いてやらなかったというのは、三島の最も大きな罪だったと思いました。
森田必勝役の満島真之介がすごい演技でした。