大阪deお散歩 63 ~素敵な◎◎◎~

 
 
                    素敵な◎◎◎
 
 
                  さて、ここはどこでしょう?
 
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
                 梅田阪神百貨店6階の女性専用トイレです。
 
 
 
イメージ 2
 
 
 
 月に2回、梅田に行くのですが、帰りにはよく阪神百貨店に寄ります。
 
 京都ではまだ見たことないようなきれいなトイレなので、阪神百貨店に来た時にはここを使わせてもらいます。
 
 6階は美容と健康、憩いの広間のフロアです。
 
 このお手洗いは、キャトル・セゾンというかわいくて素敵な生活雑貨を売っているお店のすぐ近くにあります(大阪のデパートって、なんて素敵なんでしょう)。
 
 
 
イメージ 3
 
 
 
 昔、名前は忘れたのですが、アメリカの黒人のスーパーモデルの人が、外でトイレを使うときには、必ず一流ホテルのトイレを使うという話をしておられました。
 
 一流のスーパーモデルを目指すからには、意識を高めるためにも、トイレもいい加減なところではすませず、いつも自分を一流に保つための心構えなのだそうです。
 
 私たちは、そこまではいきませんが、それでもやっぱりこんな素敵なトイレを使うと、すがすがしい気分になるものですよね。
 
 さて、きょうは、現代文学の講座があって、梅田に出かけたのですが、先生が急遽入院の必要のある状態だそうで、代講が助手さんでした。題材も変更になり、安岡章太郎の短編小説「愛玩」というのを読みました。梶井基次郎の影響がうかがえるような、芥川賞候補になった作品だそうです。
 
 戦後、脊椎カリエスで戦地から帰ってからというもの、体調を悪くしている主人公、獣医だった戦争がえりの父親、そして母親の3人家族なのですが、貧乏で、生産性のないことばかり考えるような父親が、高い値のするアンゴラの雄と雌を買ってきて、これを育てて、毛を売り、お金儲けをしようとするのです。
 
 アンゴラは子供を8匹も産み、貧しい家の中は、人とアンゴラがひと部屋に暮らしている始末。アンゴラの毛が部屋のあちこちに舞い、だらしなく暮らす両親と「僕」の部屋は実に不潔な状態で、母はぶくぶく太るし、近所のハエがみんなこの家にやってくる。
 
 とうとうアンゴラを飼えきれなくなって、売ることになるのですが、この小説の冒頭部分は、次のようなものです。
 
 貧乏というものが、ある欠乏と云ったものでないことはたしかだ。そいつは、むしろベタベタくっついてくるものだ、とぼくには思われる。僕の一家は、親子三人、父も母僕も、そろってこの数年間はほとんど無収入にちかく、むかしからいう「赤貧、洗ウガゴトシ」の状態といってさしつかえないと思うのだが、家の中はガランとしたり、風とおしがスウスウしたり、そんな、洗われた感じはすこしもなく、逆に雑多でトリトメのない、ぬるぬるした変に熱っぽいもので充満しているのである。
 
 そういえば、お金持ちの豪邸って、風通しよく、ごちゃごちゃものが置かれてなくて、すっきりしていそうですものね。
 
 案外、「赤貧」のほうが、「洗ウガゴトシ」、「がら~~ん」ではなくて、足の踏み場もない~、なのかも・・・。
 
 それに、お金ない、ないと言いながら、ガリガリになっていくのではなく、この小説のお母さんみたいにどんどん太っていったりなんかして・・・。
 
 ということは、やはり、だらしなく暮らさずに、小奇麗に、美しく、余計なものを置かず、すっきりと暮らすという心構えは、お金が貯まるし、ダイエットもできるのかもしれないですね。
 
 トイレも美しくお掃除すると、美人になるともいうし、すっきり暮らすための「断捨離」とか「整理術」などはいいのかも・・・。
 
 風水も、風通しよく、というのが基準になるようだし・・・。
 
 「トリトメのない、ぬるぬるした変に熱っぽいもので充満している」お部屋にならないように気をつけましょう。そして、トイレも、すがすがしい気分になれるように、きれいに、美しく、すっきり