平和を願うお城
昭和20年、戦争ですべて破壊された沖縄のシンボル首里城。
ベンガラ格子の赤い色はどういう色だったのか、赤瓦はどんなふうに焼かれたのか、など、古文書を探しだしたり、わざわざ中国へ行ってまでその色を見つけ出そうとしたり、強度のある瓦はどういう温度でどう焼けばいいのかなど、たいへんな苦労の結果、復元されたのが1992年、その後、2000年に、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録されました。
日本のお城は、戦争から自分の国を守るもの、戦争をするためのものとして作られているけれど、首里城は、平和のためのお城。
石垣がまあるく曲がっているのは、丸く平和に、の思いが込められているのだそうです。
石段は、王さまが馬に乗ってお城入りするために、馬が歩きやすいような幅と高さに作られているのだとか。
役人たちの毎日の勤務時間が展示されていました。
いいですねえ。9~10時ごろ出勤、2~3時ごろ退勤だそうで。
王様の大事なお仕事は、海外貿易です。琉球は、中国で戦に使うのに重宝される背の低い馬を中国に運び、馬を売ったり、壺を買ったりして、今度はその壷を、日本に持ってきて、日本では昆布やその他いろいろなものを買いつけ、東南アジアに売りに行く。そんな中継貿易国だったそうです。
中国や日本にいつも占領されそうになったり、占領されてしまったりしてきた沖縄。
琉球として、独自の文化を守り続けて来られたらよかったのに、戦争に巻き込まれ、昭和20年には、本土での戦いの準備時間をかせぐために、無理やり沖縄戦を長引かせられ、そのために、多くの人々が犠牲になりました。
嘉手納飛行場です。
雨降りで視界の悪い日でしたが、この日も何機もの戦闘機が飛び立っていました。
命どぅ宝(ぬちどぅたから)…命こそ宝もの
沖縄戦後、沖縄の人たちがとても大事にしてきたことばです。
沖縄では、「命」というものを昔からとても大切に考えてきたようです。
沖縄のお墓なのですが、まるで家のように大きな建物になっています。あれは、女性の子宮を表しているのだとか。命は女性の子宮から生まれ、子宮に帰っていくということだそうです。
沖縄の人たちの「命」と「人間」に対する深い思いが表れている宗教なのだと思いました。