~哲学の道散策~
生い茂る木々の中にたたずむ
真夏の法然院
きょうも京都はうだるような暑さ。でも、法然院の中は、生い茂る木々のおかげで、少し気温が低くなっているように感じられました。
法然院に続く入口の門
入口の戸は竹でできています。
茅葺の門の屋根の裏側
門の中側から。
お陽さまが当たるからか、屋根の上に草が生えていました。
本堂では、お盆の最後の日だからか、法話の声が漏れ聞こえていました。
ここだけ別天地のように、涼しげです。蝉も、この境内では、なんと夏の終わりを告げるツクツクボウシが鳴いていました。やはり気温は下界より低いようです。
きょうの哲学の道は、桜でにぎやかな頃に比べると、観光客の人たちが歩いてはいても、だいぶ静かでした。
かつて、哲学者西田幾多郎氏が、この道を歩いて哲学したそうで、この名がついた道です。
春は川の両横の桜並木、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪と、とても魅力的な道です。
この道沿いに住むというのが夢でした。でも、実際には、春は観光客でうるさいし、夏は蚊にいっぱい刺されて、冬は寒いかな。
あんまり暑いので、ソフトクリームを買いました。
ほうじ茶と抹茶のソフトクリーム
でも、これは、失敗。暑過ぎて、あっという間にクリームが溶けてしまうのです。
蝉の鳴き声があちこちで聞こえます。
木を歩いて登っている蝉を見つけました。
京都で有名な「ますたに」今出川店
暑い日中、並んだ、並んだ
お店に入っても、また並んだ、並んだ。
やっと座れても、注文を聞きに来てもらえるのをさらに待つお客さん
ようやく目の前にラーメンが・・・。
薄口醤油を使った甘みの強い鶏ガラスープに背脂を載せたスープの元祖だとか。
京都は昔からラーメン店がとても多い街です。ここのラーメンは、昔ながらのラーメンの味わいを残そうとしているお店のようです。
歩き疲れた帰り道、タクシーの運転手さんが、「おやじさんの代には、それはそれはお客さんが並んだもんです。今は息子さんの代になってます。それでも、観光客の人たちに、ますたにに行ってくださいと言われるので、よくお客さんを連れて行ってます」とのこと。
お店を出たところに、大文字。今夜はこの如意ヶ岳を筆頭に、大文字の送り火が焚かれました。
娘時代は、実家の窓からもこの送り火が見えたのですが、最近では近くに大きなビルが建ち並び、まったく見えなくなってしまいました。
子供のころには、夜の8時になると、窓から大文字の送り火を見ながら、家族が集まったものです。
8月の6日になると、ご先祖様をお迎えに六道参りに行き、鐘を鳴らしてご先祖さまを家に連れて帰ります。そして、16日に五山の送り火を焚くことで、ご先祖様が道に迷うことなく極楽に帰って行かれるのだという話を毎年毎年聞いて育ちました。
大文字の送り火を見ながら、おもしろいことに、毎年、缶詰のフルーツを食べるというのが我が家の行事でした。
昔は今のように多くの種類のフルーツを日常的に買える時代ではなかったのか、缶詰が重宝されていたようでした。お中元には必ずフルーツの缶詰セットをもらったものです。それをこの日までとっておいて、16日の8時になったら食べさせてもらえたのです。それで、そのことがなんだかとても楽しい我が家の行事になっていました。
おじいちゃん、おばあちゃん、両親に弟、そして、まだ結婚前だった叔母、そして、わたしという一家7人が、北向きの応接間の窓から東の方の如意ヶ岳の大文字を見て、フルーツの缶詰を食べ、ご先祖様が道に迷うことなく無事帰って行かれますようにと願うのです。
そういうふうに育ったので、今夜は、実家に帰り、実家の窓からはもう大文字が見えないので、KBS京都の送り火特集の番組を見ました。この6月に亡くなったばかりの祖母が、初めての帰り道に迷いませんようにと、昔教えられたように、思ってしまっていました。
8月ももう半分過ぎて、もうあと少しで、下界でもツクツクボウシが鳴くことでしょう。まだこのあたりでは赤とんぼは見ませんが、昨年は、北区の衣笠に行ったときには、この時期にすでに赤とんぼを見ました。
もうすぐ、やってくるのかもしれません。
今年も残暑が厳しいとのこと。まだまだ夏の服を着るのでしょうけど、少しずつ、秋の気配が近づき始めるころです。