8月6日。京都では、旧暦の七夕ということで、「京の七夕」が8月6日から15日まで開催されます。
仙台の七夕を一緒に飾るのだそうです。そして、東北の物産展もあちこちの会場で売られるようです。
今年は、東北の支援を目的とした開催になるようです。
・・・・・・。でも、どうして8月6日から15日までの開催なのに、どこにも「広島」長崎」「戦争」ということばが出てこないのでしょうね??
いつぞやテレビで見たことを思い出します。
広島や長崎では、今でも8月6日、8月9日といえば、若い人たちでもどういう日なのかすぐに答えられるということですが、他府県の若い人たちに、何の日ですか?と聞いても、ほとんどの若者たちが「何の日???」といった感じで、分からなかったというのをしていました。
京都でもそういうことなのかもしれないなと思いました。
先日、BSNHKの番組で、被災者たちの被爆症状をこと細かく調査して、写真で撮り、亡くなった人には解剖して細胞を資料として残したり、莫大な資料が日本国側によって作られ、アメリカ軍に渡されたということがあったというのを特集していました。
被災者の人たちは、その屈辱に、いやだと言えない状態だったそうです。
亡くなった叔母にあたる人の資料として保存されていた細部が、数十年後にアメリカから返されたということで、その細胞の叔母と初めて対面した人のことが紹介されていました。
細胞の資料を渡されて、「これが叔母さんなのですか・・・・・・。」と複雑な様子でした。
なぜこのように、日本の方から積極的に調査が行われ、アメリカに渡されたのかというと、そうすることをアメリカが求めているだろうから、アメリカの顔色を見て、積極的に日本人の手によって、原爆の死亡殺傷能力に関わる資料が渡されたのだそうです。
それに加担させられた医師たちも、そういう時代背景だったので、協力することが当たり前になっていたと話していました。
昔、被爆者たちの被爆状態を写したフィルムが見つかり、「これは私だ」と語る人たちのことを映した「にんげんをかえせ」という映画が作られ、一時期学校などでも上映されていました。それがどうしたのか、まったく上映されなくなったなと思っていたら、なんと、アメリカのどこかの資料室に放置されていたのだとか。それが数年前に見つかったという特集番組も以前みたことがあります。なんというひどい話だろうと思いましたが、今回のことも、見ていて憤りの感情が起こってくる話でした。
そういえば、このごろ、8月6日になっても、8月9日になっても、そして、8月15日になっても、若い人たちにはあまり関心を持ってその日は迎えられていないようです。
「京の七夕」が8月6日~15日」開催なのに、どうして東北震災のことだけではなく、日本にとって、とても悲惨な期間なのに、そのことには一言も触れられていないのか、そこがとても不思議でしたが、案外、結びついていないのかも・・・、などと思ってしまいます。
8時15分、黙とう。
NHKと他局では2番組ぐらいでしょうか、あとの番組では別の番組が放映されている最中のようで、触れられていません。
若いころ、こんな歌をよく歌う機会がありました。原水禁での公募曲です。
被爆ということが再度大きな問題になっている今年の夏です。
学校の音楽の教科書に載せてほしい作詞・作曲の曲です。
「青い空は」 詞:小森香子 曲:大西進
(歌声喫茶にて)