雑感 20 ~春の訪れ~

 
 
                ほったらかしでも
                毎年芽を出してくれる
                水仙の花
 
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                紫陽花の芽も出てきました。
 
 
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 公園では沈丁花の花が咲いているのを見つけました。
 小雪は舞っても、春はちゃんとやってきてくれているようです。
 
 水仙はありがたい花です。もう何年もほったらかしにしてあるのに、毎年、芽がちゃんとでます。
 
 いつぞやマンションが工事で、覆いがかぶせられ、お陽さまがまったく当たらなかったときも、水仙だけは黄色い花を咲かせていました。
 
 3月、早春の光には黄色い花が似合うようです。京都・大原の春は、菜の花と山吹が咲いていました。春の田園風景ととても合っていて、思い出に残っています。
 
 水仙の芽が出たとて、特に生活に変わりはなくても、それでも春は来ているなと思えることはしあわせなことです。
 
 きょうの気温はとても低くて、風も冷たいことでした。
 
 でも、昨日、タヒチアンダンスを習ったので、私の腰の具合はとてもいい。そして、今夜もストーブを消して、タヒチアンの練習をしました。
 
 少しするだけでとても暑くなるのです。フラダンスはそれほどでもありませんが、タヒチアンは足の筋肉をかなり強く使うせいか、ちょっと動くだけで暑くなります。そして、腰を動かすことで、腰の関節がほぐれるのか、歩くときに腰の動きがよくなり、とても歩きやすくなります。
 
 小さい時からバレエが習いたかったり、ダンスが好きだったりして、踊ることには関心を持っていたのは確かなのですが、それでもほんとにダンスをすることになるなんて、この年になるまで思ってもいませんでした。
 
 もうあと少しで、年も取って、したかったこともできなくなるという焦りから、思い切ってほんとに初めてしまったダンスですが、これは、からだにとてもいいことだと実感しています。
 
 人というものは、昔々から、歌を歌い、踊ってきました。これは、人間のからだと心のバランスを保つ、とても大事なことだったのかもしれません。
 
 若いころは、進学先や就職先や結婚など、狭いことににこだわったりして、一筋の道をついつい歩んでしまいがちですが、見ようとしてこなかったり、見えていなかったりしたことの中に、実はいろいろと自分の中に隠し持っていたものが生きてくる、そんなことがあるものだと、最近、やりたいことをいろいろしながら、実感することがあります。
 
 もっと若くして、いろいろなことに目を向けて、動いていたら、もっともっと自分の世界が広げられていたのに。
 
 自由であるというのは、とらわれないこと。自由であると、自分の気づかないことにもっともっと気づけるのだろうと思えます。
 
 先もだんだん短くなっていくわけですが、だからこそ、焦ってでも、いろいろなことをまだまだやってみたいと思っています。
 
 この春、タヒチアンという新しいことがまたひとつできるようになれれば、そんなことを思いながら、新しい季節を迎えようとしています。
 
 水仙が今年もまた咲いてくれることで、また春を迎えることができる、今年もそんなささやかな期待が持てているということ、それは、今、まだ恵まれて、しあわせなことなのだと感謝しなければ。