雑感 19 ~遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ~

 
 
 私はわりと丹波ワインが好きで、よく購入します。
 
                  昨年の丹波ワインヌーボー
 
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 表ラベルの鳥の絵は、翡翠だそうです。

 また、ここに書かれている文字は、平安末期、後白河法皇の編んだ歌謡集「梁塵秘抄」に載せられている歌の文句の一節。
 
     遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
     遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそ ゆるがるれ

       人は遊ぶために生まれてきたんだなぁ。
       人は戯れるために生まれてきたんだなあ。
       子供が無邪気に遊ぶ声を聞いていると、
       大人になってしまった私まで心がゆさぶられるよ。
 
というもの。
 
 これを読んで、とてもおもしろい話を思いだしました。
 
 高校の古典の時間に習った漢詩の一節。
 
     盛年 重ねては來たらず
     一日 再びは晨(あした)なりがたし
     時に及んで當に勉勵すべし
     歳月 人を待たず
 
 これは、陶淵明の詩の一部です。日本人は、この部分が好きだったようで、本当はもっと長い詩なのですが、この部分だけ、よく独立させてしまっていたのだそうです。
 
     若いころは再び来ない
     一日の上で朝も二度とは来ない
     その時その時、一所懸命勉励しなさい
     歳月は人を待ってくれません
 
ということで、一生懸命勉強しなさいという意味であるかのように、教科書には書かれていたりします。
 
 でも、この詩、本当は、その前のところには、
 
   人間の生にはしっかりとした拠り所がなく、
   ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、
   ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、
   もとの通りに居続けることはない
   この世に生まれたからにはみな兄弟だ、
   骨肉の間柄だけではない、
   歓楽の機会があればすべからく楽しもう、
   酒があれば近所の連中を集めようではないか、
 
という内容があるのです。
 
 つまり、大いにお酒を飲んで、楽しもうということが、「勉励」の内容なのだそうです!
 
 高校の先生、びっくり!なのではないでしょうか?
 
 でも、日本人も、平安時代の末期には、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」と言っていたとのこと。昔の日本人も、やっぱり遊ぶことの楽しさを歌っていたのですね。
 
 勉強も大いにすべき一時期は人生の中にあります。でも、そういうときも、昔の人は、お酒を飲んで、友と一緒に大いに楽しんだようで、中国の漢詩には、そういうお酒の詩がたくさんあっておもしろいものです。
 
 有名な陶淵明李白も、とてもよくお酒を飲んだようです。
 
 お酒好きの第一人者は、陶淵明
 
 彼の詩には、もうお酒を辞めることを決意する詩があるのですが、それぞれの行に「飲酒」という字がいっぱい出てきて、お酒を飲むのは辞める、辞めると言いながらも、あんなに「飲酒」という字をいっぱい書いたら、頭にお酒の字ばっかり並んで、とてもじゃないけど、やめられないのではないかしらと思うような詩もありました。
 
 また、杜甫は同時代の有名な人たちの飲みっぷりをそれぞれ特徴をとらえて詩に書いていたりもします。彼は、李白の飲みっぷりに一番好感を持っていたようです。
 
 中国の詩人は、毎朝、「新漢詩紀行」を観ていると、不運な人がほんとに多いようですが、でも、たいていお酒を飲むことを楽しみにしていたようです。
 
     遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
 
 日本の古来の歌謡。いい歌詞だと思いました。