私はわりと丹波ワインが好きで、よく購入します。
昨年の丹波ワインヌーボー
表ラベルの鳥の絵は、翡翠だそうです。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそ ゆるがるれ
遊ぶこどもの声きけば わが身さえこそ ゆるがるれ
人は遊ぶために生まれてきたんだなぁ。
人は戯れるために生まれてきたんだなあ。
子供が無邪気に遊ぶ声を聞いていると、
大人になってしまった私まで心がゆさぶられるよ。
というもの。
これを読んで、とてもおもしろい話を思いだしました。
高校の古典の時間に習った漢詩の一節。
盛年 重ねては來たらず
一日 再びは晨(あした)なりがたし
時に及んで當に勉勵すべし
歳月 人を待たず
一日 再びは晨(あした)なりがたし
時に及んで當に勉勵すべし
歳月 人を待たず
これは、陶淵明の詩の一部です。日本人は、この部分が好きだったようで、本当はもっと長い詩なのですが、この部分だけ、よく独立させてしまっていたのだそうです。
若いころは再び来ない
一日の上で朝も二度とは来ない
その時その時、一所懸命勉励しなさい
歳月は人を待ってくれません
ということで、一生懸命勉強しなさいという意味であるかのように、教科書には書かれていたりします。
でも、この詩、本当は、その前のところには、
人間の生にはしっかりとした拠り所がなく、
ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、
ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、
もとの通りに居続けることはない
この世に生まれたからにはみな兄弟だ、
骨肉の間柄だけではない、
歓楽の機会があればすべからく楽しもう、
酒があれば近所の連中を集めようではないか、
という内容があるのです。
つまり、大いにお酒を飲んで、楽しもうということが、「勉励」の内容なのだそうです!
高校の先生、びっくり!なのではないでしょうか?
でも、日本人も、平安時代の末期には、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」と言っていたとのこと。昔の日本人も、やっぱり遊ぶことの楽しさを歌っていたのですね。
勉強も大いにすべき一時期は人生の中にあります。でも、そういうときも、昔の人は、お酒を飲んで、友と一緒に大いに楽しんだようで、中国の漢詩には、そういうお酒の詩がたくさんあっておもしろいものです。
お酒好きの第一人者は、陶淵明。
彼の詩には、もうお酒を辞めることを決意する詩があるのですが、それぞれの行に「飲酒」という字がいっぱい出てきて、お酒を飲むのは辞める、辞めると言いながらも、あんなに「飲酒」という字をいっぱい書いたら、頭にお酒の字ばっかり並んで、とてもじゃないけど、やめられないのではないかしらと思うような詩もありました。
中国の詩人は、毎朝、「新漢詩紀行」を観ていると、不運な人がほんとに多いようですが、でも、たいていお酒を飲むことを楽しみにしていたようです。
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ
日本の古来の歌謡。いい歌詞だと思いました。