雪の舞い散る寒い朝でしたが、お昼にはこんな青空
思わずカメラを取りだしました。後ろから眩しい陽射しを受けながら写した写真。
そして、99歳の詩人柴田トヨさんの詩をふと思い出しました。冬の冷たい日の青空や陽射しは、確かに生きる気力を取り戻してくれる力がありそうに思いました。
風や陽射しが
縁側に
腰をかけて
目を閉じていると
風や 陽射しが
体はどうだい?
少しは庭でも
歩いたら?
そっと 声をかけて
くるのです
がんばるぞ
私は 心のなかで
そう答えて
ヨイショと
立ちあがります
私の祖母も95歳になりました。でも、祖母は、会うたびに、もう早いことお迎え来てほしいとばかり言います。目も見えず、ベッドに腰掛けるのが唯一の運動。もう何年もそんなことばかり言って生きています。
トヨさんもとてもさびしくて、つらい老後を迎えられたようですが、詩を書くことを息子さんに勧められて、新聞に投稿し、その詩が新聞に載るようになってから、トヨさんには生きがいができたようです。
朝はくる
一人で生きていく
と 決めた時から
強い女性になったの
でも 大勢の人が
手をさしのべてくれた
素直に甘えることも
勇気だと わかったわ
(私は不幸せ……)
溜息をついている貴方
朝はかならず
やってくる
朝陽も
射してくる筈よ
トヨさんは、自分の力で生きていこうと決めた自立した精神の女性なんだろうな。そういう強さが、一人暮らしのさびしさにもなんとか頑張って生きていけるのかもしれません。
くじけないで
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
私 辛いことが
あったけど
生きていてよかった
あなたもくじけずに
貯金
私ね 人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの
さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる
あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ
白寿を迎えたトヨさんの語りは、とても心が安らぎます。お年寄りの、長い年月生きてこられたことばは、とても重みと優しさがあるように思います。
新聞に投稿されるトヨさんの詩を、撰者だった新川和江さんは、応募ハガキの中からトヨさんの詩がひょっこり顔を出すと、いつもトヨさんのそのみずみずしい感性に、「いい風に吹かれたみたいに、さわやかな気分に」なっておられたようです。
お年寄りを決して見下してはいけないと、私たちが反省しないといけないようなのが、次の詩。
先生に
私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな バカな質問も
しないでほしい
「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思いますか?」
こんな質問なら
うれしいわ
90歳を過ぎて、100歳に近付いても、感性はこんなにみずみずしいなんて、素晴らしいことです。陽射しやそよ風といつも対話して、その優しさや温かさ、そしてまた、自分を支えてくれる人に依存せずに、上手に甘える賢さと勇気を持つと、いろいろなものや人に支えられて、優しい気持ちになって生きていけるようです。
でも、そのためには、孤独に向き合う強さも持っていないといけないようです。
トヨさんの詩は、いつも夜、一人になったときに生まれるのだそうです。そのさびしさがうかがえる詩もありました。
こおろぎ
深夜 コタツに入って
詩を書き始めた
私 ほんとうは
と 一行書いて
涙があふれた
(略)
こんなさびしい気持ちが老いを迎えるということなんだろうな。でも、100歳になっても、生きる意味を持つこと。
返事
風が 耳元で
「もうそろそろ
あの世に
行きましょう」
なんて 猫撫で声で
誘うのよ
だから 私
すぐに返事をしたの
「あと少し
こっちに居るわ
やり残した
事があるから」
風は
困った顔をして
すーっと帰って行った
この詩の、「すぐに返事をしたの」というところがすごいなと思いました。
それほど、生きている意味と役割を自覚されているのですから。
私は、江戸時代ならもう寿命が尽きる年頃なのに、まだまだ人生の意味も分かっていません。これからもっともっと辛いさびしい思いもするのでしょうね。トヨさんのように生きていけるかな。トヨさんのように生きるというのは、いっぱい経験を重ねたことをこやしにして、依存せず、人の中にいながらにして、ひとりで生きていける「強い女性になる」ということなのでしょうね。そうしたら、風も陽射しも強い味方になってくれて、あんな優しい顔になれるのかな。