京都deお散歩 35 ~親鸞聖人入滅の地~

 
~世のなか 安穏なれ
仏法ひろまれ~
 
親鸞聖人のご命日
おはぎをいただく
 
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 職場の関係で、きょうは報恩講親鸞のご命日の法要)がありました。
 新暦では1月16日。旧暦では11月28日だそうです。
 1月16日は本願寺で法要ということで、本願寺派の末寺では、11月に法要が行われるようです。
 
 親鸞聖人は小豆が好きだったとかで、報恩講では小豆をいただいて、聖人のことを偲ぶそうです。
 
 親鸞は今から747年前に亡くなったとか。それで来年の1月16日で、亡くなってから748年目。2012年には750回忌を迎えるのだそうです。
 
 「世のなか 安穏なれ」は750回忌のスローガン。
 
 これは、親鸞聖人のお手紙の中の言葉だそうです。その後には、「仏法ひろまれ」という言葉が続くそうです。
 
 独りよがりな正義を振りかざすことなく、自らの愚かさに気づき、その上で、世のなか安穏なれと願った言葉だということです。
 
 さて、その親鸞さん、どこで亡くなったのか、なのですが、うちのすぐ近所に入滅の地の石碑があります。
 
                   下京区松原西洞院
                   浄土真宗大谷派
                      光圓寺の前
 
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 ところが、本願寺派だと、入滅の地は、中京区押小路万里小路東(おしこうじみなみまでのこうじひがし)の「善法院」で亡くなったとされています。
 
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      見真大師というのは、親鸞が亡くなってから与えられた称号です。
 
 というわけで、本願寺派の職場では、うちの家のすぐ近所の入滅の地はあまり知られていませんし、認めてもらえてません。
 
 でも、道元禅師が、病気を患い、永平寺から京にやってきて、54歳で亡くなる少し前に、親鸞の娘がお世話になっている方と道元が兄弟ということで、親鸞道元を見舞ったという話があるようで、その際、道元親鸞はすぐ近くに住んでいたということであったらしいです。
 
 (五木寛之氏の「親鸞道元」という本があるようです。)
 
 というので、うちの近所にも道元禅師示寂の地の石碑があります。
 
                          
                   高辻通西洞院西
 
                 (親鸞入滅の地の一筋北)
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このことについては、京にゃんこ京ねずみさんの
ブログにも出ていましたので、
ご参照ください。
 
 
 さて、うちの近所には、菅原道真の生誕の地という神社もあります。
 
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菅原道真公が生誕の際
産湯に使ったという井戸まであります。
 
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でも、御所の向かいにある菅原院天満宮に行ったら、
ここも菅原道真生誕の地の神社でした。
???
 
はやり生誕の際使ったという井戸もありました。
 
 
また、南区の吉祥院天満宮生誕の地だとか。
 
井戸ばかりではなく、へその緒まで埋めてあるとのこと。
 
 
その上、出雲の松江にも生誕の地があるとか。
 
 
とうとう出雲にまで飛んでしまいました。
 
なんだかまるで本家や総本家がいくつもある京都の和菓子やさんみたいです。
 
うちの近所の親鸞入滅の地から道元入滅の地を通って、うちの家に帰るとき、
西洞院通りと油小路の間にある東中筋通りという路地を通って帰りました。
 
今や懐かしい石畳の道。
 
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ここを抜けると私のおうちのある通り。