亡くなった人たちがあの世から帰ってくるというお盆。
京都では、六原珍皇寺にお参りして、鐘をついて鳴らし、ご先祖さまをお迎えに行きます。
鐘をつくところは長い長い列。並んで鐘をつきます。
亡くなった祖父は、なんでも早くから準備をし、何でも早くにしてしまう人だったので、7日になると朝早くから鐘をついて、できるだけ早くお迎えに行ってました。
お寺にはいろいろなお店がでます。
仏前に飾るほうずき。
お花屋さんも。
ハスの花に、槇(まき)を売ってます。これらも仏前に飾ります。
このお店は、鞍馬のつくだ煮やさん。
また、お寺へ通じる道にある八百屋さんでは、おもちゃかぼちゃが売ら れていました。これもやはり仏前に飾ります。
六原珍皇寺では、この時期だけ地獄図が公開されます。
下の方が地獄の絵。
また、このお寺には、小野篁(おののたかむら)があの世へ仕事をしに出かけたという、あの世への入口があります。
このお寺を出て、少し歩くと、六波羅蜜寺。
平家の陣地のあったあたりです。
平清盛のお墓
このお寺の斜め向かいに、広い敷地の工事現場が。
これは、開晴小学校・中学校を建てているところなのです。
私の母校「粟田小学校」は、平安神宮のすぐ近く、粟田口にあったのですが、子供の数が少なくなってきたため、今では他の学校と併合され、「白川小学校」となっています。
ところが、子供の数がさらにさらに減り、とうとう何校もがさらに併合されて、今度は「開晴小学校」となり、中学校と一貫化されるようです。
建設用地はかなり広い敷地でした。
すでに御池通り河原町より少し西側には、小学校と中学校が併設されて、大きな学校が建てられていますが(やはり子供の数が減ったために、数校が併合されたのです)、また新しいきれいな立派な公立校が一校増えることになります。
だんだんと京都の学校の数は少なく少なくなりそうです。