京都deお散歩 32 ~天橋立界隈~

 
天橋立界隈
=夏の私の旅日記=
 
 
天橋立の股のぞき
 
空に橋がかかったみたいに
見えるでしょうか?
 
イメージ 1
 
 7月30日、31日の2日間、天橋立に行ってきました。
 あいにくの曇り空と雨のために、二日間ともせっかくの日本三景のひとつである天橋立は、ずっと霞んでいました。
 
イメージ 2
 
 
 泊った旅館は、与謝野晶子が夫・鉄幹とともに、よく訪れたという対橋楼。
 
イメージ 33
 
イメージ 22
 
イメージ 34
 
イメージ 35
 
 
 晶子の部屋というのもありました。与謝野晶子が夫・鉄幹の父親の故郷の近くにあるこの地を何度も気にいって訪れ、鉄幹とともに多くの歌を残したそうです。それらの歌とともに、旅館の当時のご主人と一緒に写した写真も飾られていました。
 
イメージ 37
   
 
 このお宿は、天橋立に最も近いところにあり、お部屋の窓からは回旋橋が見えます。
 
イメージ 36
 
 この橋は、一日に1回ぐらいだそうですが、大きな船が通る時には橋がふたつにパカッと分かれるのです。なかなか見られないのですが、運よく、夕暮れ時、たまたまお部屋の窓から外をのぞいていたら、その一日に1回ぐらいのチャンスを捕えることができました!
 
イメージ 38
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
イメージ 6
 
 このお宿は、文殊堂で有名は智恩寺の門前にあります。
 
イメージ 7
 
 中に入ると、文殊堂。
 
イメージ 8
 
 このあたりでは、扇の形をしたものを木に吊るすようです。
 
イメージ 9
 
 
 天橋立海水浴場はこの時期、あまり混雑はしていないようでした。
 
 自然の風化によってでき上がったという海の上の陸の橋を渡ってみると、たくさんの松が植えられていました。
 
 松というのは、栄養分の少ない砂地に生えるのだそうです。栄養分が少ないから、横に根を伸ばすのではなくて、どんどん下の方に根を下ろすので、それで強い風が吹いても倒れることが少なく、防風林として適しているのだそうです。
 
 ここの松には名前までついていました。
 
イメージ 27
 
 これは、幹が3つに分かれているので、「三人寄れば文殊の智恵」ということで、「智恵の松」。
 
 
イメージ 28
 
 この松は、まっすぐきれいに伸びているので、式部の松。夫について大江まで行ったという、恋多き和泉式部の松です。
 
 その他、晶子の松だとか、雲井の松だとか、いわれを書いた立て札で説明されていました。
 
 下の写真は磯清水。阿蘇湾と宮津湾に囲まれた海辺なのに、ここだけ真水が湧いているそうです。
 
イメージ 29
 
 松の間からは宮津の海。
 
イメージ 30
 
晶子と鉄幹の歌碑
 
イメージ 32
 
 この日の夜は、旅館の豪華な海の幸をいっぱいいただき、起きてるのもしんどいほど、おなかいっぱいになりました。
 
イメージ 11
 
イメージ 12
 
 
 鴨のローストまで出ました。
 
イメージ 13
 
 
 次から次へとお魚料理をいっぱい食べ、最後はこんなデザート。
 
イメージ 14
 
 デザートがのっていたお皿は、天橋立の近くにある、智恵の輪が描かれた六角形のめずらしいお皿でした。
 
イメージ 15
 
 翌日は、このお寺のすぐ裏から、阿蘇湾の対岸に渡って、府中エリアへ。
 
 観光船が出てしまったすぐあとだったので、モーターボートに乗るはめになりました。
 
 モーターボートのお兄さんのお誘いを疑わしそうに拒否っていたのですが、観光船とほとんどお値段は変わらないし、ぜったい危険はないということだったので、恐る恐る乗りました。
 
 そして、親切そうなおじさんの操縦するモーターボートの先頭に座り、・・・。なんとこの私が、猛スピードで風を切って、対岸の一宮まで海を突っ走ったのです!!時間は10分もかからなかったかも・・・。
 
 こんな立派なモーターボートに乗りました~!窓よりもっと手前の穴の開いたところが、私が顔を出していた場所。暑い夏のこと、快適と言えば快適なのですが、ビュンビュン猛烈な風が頭に当たり、頭痛一歩手前でした。
 
イメージ 10
 
 この日は、ケーブルカー、登山バスを乗り継いで、成相寺まで行きました。
 
 すごい階段!100段あります。
 
イメージ 16
 
 
イメージ 17
 
 このお寺では、たったひとつだけなんでも願いごとをかなえてくれる仏さまがおられるのですが、あんまり欲を出すのも気が引けて、みんなが幸せになれますようにと、とても遠慮してお願いしてきました。みなさま、お幸せに、ね。
 
 実はこのお寺、峰山に住む親戚のお坊さんが、かつてここに毎日通っていたのだそうです。
 
 その人の話では、お守りなど買ったら、お金をそこにそれぞれ置いておくのですが、だれもそのお金をこっそり持って行く人もいないそうで、いつもちゃんと計算が合うとのことでした。この日も100円玉が山のように積まれていました。
 
 再び長~~い階段を下りて、登山バス、ケーブルカーに乗りついで、一宮の船着き場まで戻りました。
 
イメージ 18
 
 さて、今回の旅の目的は、与謝野晶子を偲んで対橋楼に泊ることと、溝尻の舟屋と天橋立のワイナリーを見学することでした。
 
 溝尻の舟屋。
 
 今では10軒ぐらいしか舟屋はなく、伊根ほどではありませんが、それでもめずらしい風景でした。
 
イメージ 19
 
イメージ 20
 
 かつてはこういった桟橋に舟が泊り、子供たちは舟に乗って学校に通っていたのだそうです。
 
イメージ 21
 
 そこから少し行ったところにある天橋立ワイナリー。
 
 あたりは田園風景ですが、これらは葡萄畑なのです。
 
イメージ 23
 
 このあたり、もともとは田んぼや畑だったそうですが、減反のためだったり、農業をする若者がいなくなったりで、それで今では葡萄畑になったそうです。
 
 対橋楼のお隣の旅館「千歳」の方が、ワイン作りを始められたのだそうです。
 
 その人は、もともと北海道でワイン作りをしていたそうですが、故郷に帰り、葡萄畑を作って、その葡萄を北海道まで運んでワインを作っていたそうです。でも、今では、立派な工場もでき、ここで天橋立ワインは作られています。
 
 1階はワイン販売。2階はレストラン。3階が工場です。残念ながら、工場は見学できませんでした。
 
イメージ 24
 
 そして、地下にはワインが眠っています。
 
イメージ 25
イメージ 26
 
 試食をいっぱいして、一番気にいったのは、さっぱりとした甘口の白ワイン「ケルナ―」でした。
 
 
 同じくこの府中エリアには、府立丹後資料館があります。資料館の場所は、丹後国分寺のあったところだそうです。
 
 このあたり、古くから仏教普及の地だったようです。
 
 実は、この資料館で、私はうっかりカメラを忘れてきてしまいました。
 
 資料館の方が、快くカメラを送ってくださいました。どうもありがとうございました。きょう、受け取り、こうしてブログを書くことができました。
 
 この旅で、もうひとつ、いいものに出会いました。
 
 旅館で使われているコーヒーカップなどがなかなかいい器だったのですが、この近くの伊根工房さんというところの、女性作家の器だそうです。旅館の売店で少しだけ売ってあったので、買いました。
 
 この次は、伊根に行き、ここの工房をぜひとも訪ねたいと思いました。
 
 
イメージ 31