久しぶりに実家に寄りました。すっかり夏装束に変わっていました。
昔々、祖父が買ったものなのですが、それを毎年毎年出してきて、使っていたら、だいぶ傷んできたので、今年は洗いに出したそうです。
祖父が買ったお店がまだ残っていて、そこへ持って行ったそうです。そうしたら、そこのご主人が、「これは私の祖父の代の仕事です」と言われたのだそうです。
そして、すだれをきれいに洗って、周りのふちを新しい布に変えて、まるで新品のようにしてもらったとのこと。
このごろではなんでも部品がなくなってしまい、新しいものを買い替えないといけないという時代になっていますが、ドイツの車などは、昔々の部品もちゃんと残っていたり、イギリスではアンティークこそが重宝され、家も築100年といったものも大事に使われていると聞きます。
祖父の時代のもの(昭和の初めです)が、こうしてちゃんとメンテナンスされ、また大事に使うことができるなんて、これこそが職人さんの仕事であったり、文化と呼ばれるものなんだろうと思いました。
また、今年は竹も取り替えたそうです。こちらは古くからお世話になっている大工さんの手仕事。
今はもう飾りになっていますが、昔は水がちょろちょろ出ていて、ここで手を洗っていました。
京都の家はうなぎの寝床です。家の真ん中に中庭があり、そこからお陽さまの光を取っています。
夜は灯りがともります。
うちの家は、昔はお商売をしていました。祖父は、昭和12年にこの家を建てたのですが、料亭風にいろいろ凝ったようです。
特に天井は当時の大工の棟梁の自慢の作だったそうです。格天井はまったく狂いがなく、ぴたっと合わされているのです。昔の職人さんの仕事って、いまどきの我が家のマンションのように、コンクリートにぺたぺた壁紙張って作った天井ではなく、匠の技が生かされています。
今では実家もいろいろと建て変えているので、このお座敷と中庭だけが昔の面影を残しています。
日ごろはマンションで、壁紙で張られた部屋で暮らしている私です。実家に帰ってこういうものを見ると、人の暮らしの中に、職人さんの技があった時代というものにとても魅力を感じ出しています。
職人さんの熟練した手仕事で作られたものの中で暮らすというのは、こちらの感性も磨かれるようにも思います。
それは台所の小さな道具でもそうなのだろうと思います。大量生産のものばかり使っている昨今ですが、職人さんの手仕事を大事に味わって使う暮らしというのものに魅力を感じてきました。
「草原の椅子」という宮本輝の作品に、こんな言葉が出ていました。
「物を作るってことは、人間が生きるっていうことなんやなァって思ったんや。」
今、行ってみたいお店。
【辻和金網】