京都・清水二寧坂にある、竹久夢二のグッズを置いているお店で買った9.5cm角の小さなお皿。
この二寧坂の家で夢二は彦乃という年若い画学生だった女性と一緒に暮らしていたことがありました。
ふたりの交際は、彦乃の父に反対され、「山」「川」と呼び合ってこっそり隠れて会っていたようです。
青麦の青きをわけてはるばると逢いにくる子とおもえば哀し
白玉のうれわしき子を抱きたればわっと哀しくなりにけるかな
なつかしき娘とばかり思いしをいつか哀しき恋人となる
(「山へよする」)
(「山へよする」)
大正5年、京都に先に逃げてきた夢二を追って、彦乃ものちに京都へ。この清水・二寧坂で駆け落ちして住んでいたのだとか。
このお店のおとなりには、二人がよく通ったという甘党のお店があります。
その後、彦乃は結核になり、東京に呼び戻され、わずか1年足らずで二人の暮らしはピリオドが打たれました。
【参考】
このお店の「港や」という屋号は、夢二の絵のモデルとなった元・妻たまきと一緒に東京に開いた夢二の絵はがきなどを売ったお店からとったものです。
このお店の「港や」という屋号は、夢二の絵のモデルとなった元・妻たまきと一緒に東京に開いた夢二の絵はがきなどを売ったお店からとったものです。