京都deお買いもの 11 ~柿善商店~

柿善商店は、「ぱんdeおしゃべり37」で紹介した、祇園石段下の乾物屋さんです。

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祇園というにぎやかな場所に昔からある乾物のお店です。鰹節やお豆類、くず、ごま、麩といったものがいろいろ置いてあります。最近、京都の町にはどんどん新しいお店ができ、観光客で溢れていたりもするのですが、こういうお店は、スーパーにも負けないで、これからもひっそりといつまでも残っていてほしいと思うのです。

京都という町は、決して古風な落ち着いた町ではありません。特に最近では、次々と無秩序に新しいお店ができては消え、できては消えています。

京都で誇りに思ってもいいぐらいの本屋さん、梶井基次郎の「檸檬」の舞台にもなった「丸善」は、学問の町京都らしく、昔から洋書をいろいろ揃えていた歴史のある本屋さんでした。でも、今や、大きなカラオケやさんに変わってしまいました。学問の街の象徴ともいうべき丸善がカラオケやさんになるというのは、なんだかそれはよくないんではないかしらと思ってしまうのです。でも、そんなふうに、あちこちのお店が変わっていっています。

鷲田清一氏(現・阪大学長で、哲学者)の著書「京都の平熱~哲学者の都市案内~」(講談社)にも指摘されていましたが、京都というのは、昔からけったいな町だったようです。京都人というのは、新しもん好きで、祇園のど真ん中にでもけったいなビルを作ったり、そういうこと、平気なとこあるんだとのこと。

鷲田氏によれば、昔の京都人のそういうけったいなところは、いいところでもあって、変人奇人をけったいやなあと思いながらも、疎外したりはせず、距離を置いてはいても、受け入れていたりするところが昔からあったようです。

でも、このごろは、それがちょっとひどくなって、度を越してしまっているんではないかなあと思ってしまいます。鷲田氏も、丸善のあとがカラオケやさんというのには、やっぱり違和感を持っておられます。

私が今住んでいるマンションも実は京都の景観を損ねているうちのひとつでもあるのですが・・・。昔は大きな問屋さんがたくさんあった町だけど、でも、もう着物を着る人も少なくなり、室町の問屋さんは、主人が亡くなると、遺産相続ができずにお店をたたんで、業者に売らざるを得なかったりしたので、祇園祭の鉾町にもマンションがいっぱい建ったのです。京都で歴史のある昔ながらの旅館の建物のお庭からマンションが見えて、問題にされていたこともありました。

時代の流れということもあるのですが、松江に行ったとき、とても町が落ち着いていて、いいところだなと思ったら、松江では、小さなお店を守るために、スーパーやコンビニを規制しているんだとタクシーの運転手さんに聞きました。小京都と呼ばれている町のほうがずっと落ち着いていたりするのではないかと思ったりもします。

京都人は、新しもん好きで、けったいな人も受け入れるというのは、それはそれでいいことだと思うんだけど、でも、このごろの京都の無秩序さ。三条名店街の移り変わりの早さ。お店の風情のなさ。昔、三条名店街のあたり、三条柳馬場に住んでいたのだけど、まだまだ落ち着いたいいところでした。でも、もう今は戻りたいなとは思えなくなりました。

そんな中で、観光地のど真ん中にあって、今でもまだ地味なお商売を地道にされている柿善商店さんにはこのままでお店を続けてほしいなと思うのです。

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むきごま、吉野葛、お弁当のおにぎり用にお昆布。

ついでに、鷲田清一氏の「京都の平熱」の本の中に書かれていたおもしろい京都を紹介。

京都って、実は、昔からラーメンの町なのです。ラーメン店がそれはそれはいっぱいあるのです。

奇人はいっぱいいて、繁華街では、昔は女装した家元がおしゃれにたばこふかしていたり、哲学的な雰囲気すらする「ジュリー」というホームレスが三条河原町の交差点(車道)で星に祈っていたり、「いき(粋)」について研究している京大の先生は、毎朝祇園の花街から大学にタクシー飛ばして通っていたり・・・。昔はそういうおもしろい街だったということです。

私もホームレスの「ジュリー」が星を拝んでいるところ、見たことあります。車が通っている街中の車道で片ひざをついて、手を組み合わせて拝んでいる姿。でも、そのジュリーは、交通事故で亡くなったとか聞きました。

タイガース、フォーククルセイダーズあのねのねなど、当時としてはけったいなグループを出したのも京都だと鷲田氏が指摘しておられました。

そして、京都って、笑ってしまいそうにけったいなところ、あります。安井神社は縁切りの神社なのですが、その裏にはラブホテルが建ち並ぶのです。鷲田氏は、縁切り神社の絵馬を見るのはなかなかおもしろいと書かれていました。夫の浮気相手を呪ったような恐いのもあるようですが、明治時代には、「今後は男はんを絶ちます云々。・・・ただし、3年の間、云々」といったおもしろいものが、宝物館に収められているのだそうです。

京都は「あっち」の世界への孔がいっぱいあるところだとのこと。

八坂神社の周りには祇園町平安神宮の周りにはラブホテル街。西本願寺の近くには島原の花魁。北野の天神さんの周りには上七軒という花街。

古い街にあって郊外のニュータウンにないもの三つ。①大木。②宗教施設。③場末。

京都はこうした世界があちこちで口を開けている実に妖しい街であると指摘されていました。

私なんかは、京都にずっと住んでいながら、なかなかそういう孔に気づかす、表面的なところしか見ていないのだろうなと思うのですが、なかなかおもしろい指摘でもあり、そういう昔ながらのけったいな妖しげな京都もまだまだ残っているのなら、その孔を見つけてみるのも大事なことかと思うのです。